スピリチュアル/ 選択の自由のススメ
以前書いた記事に少し手を加えて再度掲載しています(長いです^^)
つらつらと原稿を書いているうちに、なんとなく思いがまとまりかけてきましたので、後からタイトルをコレに変えてみました。(変だけど 笑)
またくだらない戯言ですが、どこか1行でも心に残ることがあればそこから広げて、貴方なりに考えを巡らせてみていただければ幸いです。
では、ど〜ぞ
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スピリチュアル系のサイトやブログ等を読むと、とても爽やかなものを感じたり、また逆に開いた瞬間からドロドロ〜っとした感じがしたりもしますね。
ハイ 人によってはココもドロドロ系かもしれませんネェ〜 爆
それぞれの方の霊的世界?の探求等、歩んでる道を『スピリチュアル』という言葉でヒトククリにできるほど単純なものではないのですが、それぞれが『スピリチュアル』と枠付けして書いてあるので、このブログでもそうしていますが、そもそも皆さんにとってのスピリチュアルって何でしょうね?
とりあえずそんなわけで(←どんなわけだ・・・?)、話を進めますが、、
ドロドロに関しては、やはり「良くない」と判断して間違いないとは思いますが、「ピキーン!(笑)」っていう強い気の場合には個々に合う合わないの違いもありますので、良いのか悪いのかの判断に迷うことも多いのではないでしょうか?(悪いという言い方自体もアレですがね)
普段神社の様な場で、ピ〜ンと張り詰めた氣を感じるということは少ないでしょうが、、天地を結ぶ氣(皆さんの言う光の柱でしょうか?)や、場を包み込む様な氣(雰囲氣)、そして、、、
ソコに1っ歩足を踏み入れたときに、まるでズッシ〜ンと雷に打たれたかの様な、、特定の人だけを貫く様な重く鋭い氣もありますね。
(余談ですが、神の漢字は示して申すではなくて、稲光(神成)で示すという象形文字が発祥です。 神が申すを表すと、曰や音の文字になりますので、門の中で神の言の葉を聞けば闇となりますね 笑)
話を戻して、、
これらの氣を判断するときにはソノ時々の感じ方や本人の思い入れなどもあり、また、温かい・爽やか・清々しい・冷たい・寒い・刺激があるなどの感覚的な良否が同時にあると思いますので、人それぞれの感じ方で良いと思います(何でも経験が大事ですしね)
しかし、イヤ〜ナ感じが伴うときにはやはり(そのトキの自分には合わない場合も含めて)近づかない方が身のためと言うこともありますね。
(ピリピリするような刺激や頭痛などの痛みに関しては、良否の両方がありますが、寒いわけでもないのに、身体にブルブルと小刻みな振るえが来る場合は邪気と考えてほぼ間違いないでしょう。。ブルブルと言うよりプルプルって感じかな 笑)
そして、私メ ココで書いたかどうか忘れましたが、神社にはできるだけ朝の氣に入れ替わった後〜午後の3時までに参拝した方が良いです。
これは、いろいろな方が言ってることなのですが、あるブログには、時間の概念があるのは3次元に生きる人間だけなので、神様は24時間いつきてもいいと言ってるようなことが書いてありました。
まあ、確かにそれも一理あるのですが、果たして誰にでも通用することなのでしょうか?
『神様』が言うなら本当かもしれません。。
しかし、私メも『神様』から【寅の刻】を過ぎると陰の氣が満ちてくるので、出来るだけそれまでに済ませるようにと言われています。
※私メは朝の氣=雀の鳴き声等の合図〜午後3時までを参拝時刻としてお薦めしております。
(昔から朝を告げるのはニワトリと相場が決っていますが、最近は神社近辺にはなかなかいませんからねぇ〜 笑)
上に書いた寅の刻というのは、正式な時刻(=午後3時)を表したものではありません。
昔は子(ネ)の刻を23時〜1時(正刻0時)として、2時間おきに干支を用いて時刻を表していますので、本来なら寅は午前4時(正刻)頃となります。
この「頃」というのがミソで、昔は日の出日の入りを基準にしていたりもしますので、当然季節によっても変ってしまいますし、城内や公的機関と一般庶民では別の計算方法を使っていたらしいお話も残っています。
(時刻の出し方、数え方は別記事の月がでたでたをご覧ください)
【月がでたでた】の記事中から、私メが午後3時を『寅』と呼ぶようになった経緯を抜粋して追記しておきます。。
この【神社参拝は寅の刻まで・・】というのは、背後のあるお方から言われたことなんですが、意味としては、「通常の神社参拝は、午後3時までに切り上げよ」ということなんですよ。
となると、本来の時刻の呼び方では【未の刻ハつ(おやつ)から昼七つの申の刻】となりますね。
では、私メの背後はウソをついたのでしょうか?
・・・そうではなく、私メ『寅の刻まで』といわれたときに、
「あぁ・・ 午後3時までだね」と・・・ 笑
私メの中では、勝手に方位に例えた位置として「寅までね」と解釈をしたのです 笑
時刻を表す昔の単位をそのようにうろ覚え(じつは勘違い)していたので、急遽時刻の制限を伝えるために寅と表現したものらしいです。(釘を刺しておかないと無鉄砲なので? 汗)
こう言えばこの子にはスグにわかるハズだ。。とね あはは。。
実際アチラ側にとっては時間などそれほど重要なことではないですが、コチラに生を受けたものにとっては、注意すべきもあるのです。
また、交信(通信?)に関しても、伝えることが目的の場合には、相手(受け手)がわかりやすい方法で伝えるということですね。
しかし、自分で学び感得しなければならないことや、今知らなくて良いことは【聞いても教えてくれるものではありません】よ。
(成長を止める行為だからでしょうね)
もちろんソレナリの用事があるときや、どうしても時間的に無理な場合は別で、それなりのサポートもありますが、基本的には神や守護といえど手出しはしません。(守護の霊は身を守る核シェルターではありません)
※祭りや神事に参加の場合は当然別ですよ。
ではいったいどちらのカミサマの言うことが正しいのでしょうか?
答えは『両方』でしょうね 笑
しかし、一般向けかどうかは別です!
そして、どちらの説を取るかも貴方次第です!
そのサイトでは憑依体質者のことを取り上げて、「そのような人には危険はあるかもしれないが、影響を受ける憑依体質者はそうそういるわけではない」みたいに書いてありましたが、
『24時間いつ来ても良い』 『アチラの世界では時間の概念は無い』 確かにそうです。
しかし、神が人間に何かを伝えるということであれば、コチラの世界、対象となる人間の生活に照らし合わせたことを言うのが筋ではないでしょうか?
まあ、おそらくこの方はそれら陰の氣に影響されない相当出来たお方なので、神にそう言われたのかもしれませんね。
(誰が行ってもOKと書いているのはアウトですよ)
私メは、「寅の刻」のことを聞く前の経験上から、やはり行くべきでない時間帯があることを体感しています。
それを一番感じたのが鹿○神宮の鹿苑から先の場です。
しかし、先ほどのブログには、ココの神職の言葉として、時間外参拝のことを大笑いして「夕方の神社もオツだよ」と言っていたと書いてありました。
お〜い、、途中の右に折れる細いわき道の奥に行ってごら〜ん。。。なにが出るかな??? 爆
(然るべき処にお帰りいただいたからもういないと思うけど、違うヤツがいるかも・・謎笑)
それはどうでも良いのですが、、一番の問題なのが【神社には何をしに行くのか?】 なのでありますね。
私メ、僧籍に入る前は毎年正月には、富士宮の浅間大社〜富士山を1周していまして、元旦の夜に浅間大社の砂利の駐車場で車中泊をしたこともありますが、灯りに照らされた朱塗りの社殿や拝殿などとてもきれいで、しかも正月にして誰も居ないその場を独り占めした善き想い出もあります。
(因みに2日にいただけるつきたて餅はうまいぞ〜♪)
そんなライトアップされた景観を楽しみたいとか、家路への近道や散歩なら別ですが、何か目的があるから参拝に行くということであればなにゆえ夜なの? ですよね。
(言葉の収まりがいいので夜と書きます)
静かな夜に思う存分神様と繋がるために行くのでしょうか?
誰にも邪魔をされずにゆっくりと気の済むまで参拝したい気持ちはわかりますが、神様は神社に常駐してるわけではありませんよ。
肝試しでもないのにわざわざその時間帯を選んで参拝に行く、その方なりの、夜でなくてはならない大事な大事な目的があるのでしょうか?
この、時間帯に関することは、神社に限らず寺院や聖地にも言えることだと思いますが、確かに慣れということもありますね。
私メが先達をしてる霊山では丑三つ時であろうと山に登ったこともあります。
かなり陰の氣に満ち、粘り気のあるような重い雰囲気はあるものの、特に気になることもなかったりもしたのですが、ある霊的能力者に言わせると、ソコに壁があるかのように山道(参道)入り口から先には進めないそうです。
モチロン私メはソレナリの精神状態にスイッチを入れ、不動真言なんぞを唱えたりもしながら登るわけですから、自己暗示やら信じるモノに救われる的な相乗効果もあるのでしょう。
しかし、霊山は聖地ではありますが、誰もがソレをしたからと言っても行場という意味では万人向けではありませんのでご注意を!
そんな私メもこの霊山の中でもヤバイと感じる場もありますが、なぜ、そのときの私メは普通に登れたのでしょう?
答えはそこの氣自体に馴染んでいたからで、今だったらおそらく夜中に登ることはできないでしょうね。(登る気がしないということもありますが・・)
場の氣に馴染むということで考えれば先にオハナシした宮司さんの意見もソレですね。
場の雰囲気をどのように解釈するかは、それぞれの自由で良いと思いますが、私メの意見としては、お祭りや日没後の御神事(祭祀)などに参列する場合などは別にして、普通に個人で参拝にいくときには避けるべき時間帯があることに気をつけていただいた方が良いと思います。
(古来神社では、特別なお祭りはどこでも夜間(子の刻から開始が多いかな)に行われていましたが、特別なマツリを除いて明治以降はだいたい昼間に行うようになっています)
まあしかし、これだけは言っておきますけど、神社やお寺(特に神社)は、管理された場所でもありますよ。
日ごろから無人の小さい宮や自治会館が隣接した地域のコミュニティの場であっても、夜中にいってナニヤラ怪しい行動をするのは常識から言ってもどうかと思いますし、管理側からしたら迷惑な話ですよ!
たとえ貴方がソコを開かれた場に感じているとしても時間外には(決った時間帯がなくても)不法侵入者的に見られても仕方ないことでしょうね。
(わざわざ夜に出かける方は、凡そ何かしら霊的ななチカラを欲してる場合が多いのですが、闇夜のカラスは・・・・・どうなんでしょうかねぇ。。。)
※紛らわしくなるといけませんので、時刻のこと少し説明しておきましょう。
本来、寅の刻というと午前4時頃のことですから、正確にいうなら未〜申の間には参拝を終えるようにとのことです。
私メはこの江戸時代の2時間ずつの区切りや、ナンドキというそのトキが現在の何時を示すのかを知らなかったので、その場(神社の境内)で、背後の存在から急遽時刻を知らせるためにわかり易い説明をしていただいたのです。
(ピタリその時間ということではありませんが、私メには、時刻よりも方位的な位置で考える方がわかりやすかったということです)
その後はこの寅で通じていますので、この表記をしています。
なので、現代時刻で言うと、神社の参拝は午後3時までには終えるよう心がけると良いということになります。
(これは、身に受けた聖地の御神氣をそのまま維持するためですから、枯れても良い方はこの限りではございませんのことよ おほほ♪)
私メ、ライトワークと言う物が何であるのかわかりませんが、よく聞くところの【光の柱を立てる】と言われることなのでしょうか?
また、それを【御神事・神業】とか呼ぶそうですが、一般の主婦が、『今日は○○神社で御神事をして神様を起こしました』 または『光の柱を立ててきました』などとブログ等に書いてあるのを読んだりして、最初は何事かと思いましたヨ。
しかし、何人もの方がこの【御神事】をされているであろう有名神社に於いて、いや〜な感じを受けたり、なにも無いように感じることがあるのは何故でしょうか?
私メの感じ方に問題があるのかもしれませんが、皆さんはそんな経験はないですか?
この御神事、観える観えないは別にして、イメージワーク(そんなつもり)として行っているものと推測致しますが、納得できる説明がされてるところがあれば教えていただきたいです。
また、それぞれが勝手にいろいろとやってることの意味を、一度考えてみていただきたいと思います。
確かに、ソレが出来る人はいるのでしょう。しかしそれほど多くはいませんよね?
それどころか、本人は出来るつもりになっているけど、逆にグチャグチャにして廻ってるなんてことはないのでしょうかね?
さて、ハナシを戻して、
「今日はこんなことがありました〜」っていうのは良いとしても、大災害等ある種の恐怖感を植付けたり、祈りのイベントなどに賛同者を募り、、しかもそこに覆い被せるようにナンタラ神示を自己解釈したような自論を展開して自分の領域に引き込もうとする書き込みやコメント等も多くみられます。(持論の展開では私メひとのことはいえませんね 笑)
誰のどれが真実かは私メにはわかりませんが、中にはまるで夢物語りの様なものもあれば、終末的予言などに右往左往してるような方も見かけますね。
ノストラダムスの予言したとされる年が無事に過ぎれば、『解釈が違ってた』とか『今度はコレ』とばかりに、いろいろ引き合いに出しては同じ騒ぎが毎度繰り返されています。
世間(ごく一部でしょうけど)を騒がせた地震や噴火が起こるとされていた日も大難なく何度も無事に過ぎています。
このままでは、ああなるこうなると様々な恐怖感を植付けては逆にある種の希望を持たせるのは【似非宗教】のやり方そのままですね。
そう、スピラーの皆さんが嫌っているはずの宗教ってヤツですよ!
まるで、あっちの水は苦くて、こっちの水は甘い、、、蛍狩りの歌みたいですね。
そしてそこに集う方たちは集められた蛍の様です。
(もっともホタルも【光の存在】ですから、それをヨシとしてしまうのでしょう 爆)
私メに予言させていただけるなら、何かのコジツケをしながらソノ終末はおそらく暦のひとまわり(12年)程度ずつ引き伸ばされて語られ、そのうち飽きてはなれる人もいますが、世代交代しながら、ソノ日が来るまで語り継がれることでしょう。 笑
そして、最近の流行?に【○月○日はこういう日ですから、皆で祈りを合わせましょう】というイベントが数々行われていますね。
どうも一連の『一緒に祈りましょう』騒ぎは、各グループの『信者勧誘の運動』の様に見えてしまうんですけど、私メの目や魂が曇っているからなのでしょうか???
いえね、本当にソノ祈りによって毎回未曾有の大災害が回避されているとかなら、、、そして、それが証明できるのなら私メは何も言いませんヨ! ええ そうですとも。。
精神世界の中のある階層には地上に起こる前の出来事がすでに表現されているとも言われています。
これは、人間の自由意思・想念等によって変化もすることでしょうし、精神階層には地上のような距離や時間はないので、反映されるのも地上の時間の流れとは異なりますので日時を指定した予言は、当たる確率はかなり低くなります。 っていうかほとんど当たりません。
もしも神様?が日時を指定したのなら聞いた方にとってはそれは真実でしょう。。。
そして、何事か事象が起こったあとでは『分散されて、ドコソコで起きた規模の小さい地震で済みました』などなど、何とでもコジツケることもできますね 笑
もっとも人間の自由意思によって変化するということもあるので、心からの祈りが災害の回避・鎮静になるというこもモチロン有り得るでしょう。
しかし、大勢の意識が、祈りの前提として、、
『大地震が来るんだ。大災害が起こるんだ』の思いを持ってしまうのはどうなんでしょうねぇ?
それ自体が我々の選んだ自由意思には成り得ないのでしょうか?
あとから、『それは嫌なので、起こらないで欲しいのです』と否定したところで・・・
祈りの大前提にあるのは【起こる】コトを回避または鎮静化させたいということでしょう?
潜在意識や集合的無意識はときとして在らぬ方向に働き、在らぬ事象を引き起こすことがあります。
そう考えてみると、分散されたのではなく、逆にその分散されたと云われる小規模な
【地震を起こす元】となってしまうことは絶対に無いと言えないでしょう。
いえ、なにも脅かそうというのではありませんよ。(ちょっと屁理屈なだけです 爆)
私メには能力がありませんから言えることなんですが、実態のないものに対しては、考え方次第ではそうとも思えてしまうってだけのことなんですよ。
しかも、心の片隅に、(無意識にも)恐怖感があれば、おのずと祈りにも【ご利益信仰】の気持ちが顕れてしまいませんか?
本来は、『どうか地震や噴火が起きませんように・・・』の祈りを捧げることよりも、人類が間違った生き方をしないことが一番ですよね!
わかっちゃいるけど、現状を見れば・・・ トホホですね。(よーくわかります)
率先して祈り行脚を行っているあるお方は、事象は浄化のために起こることなので、それを【止める】のではなく、【より被害が少なく済むように】祈るのだと言っておられるようですね。
そして、それをすることが自分に与えられた『お役目』だと・・・
よくスピ系のところを覗きにいくと、この【お役目】という言葉を見かけます。
そして、前にも書きましたが、「光の戦士や虹の戦士」
お仕置きしてして〜!なんちゃって.。o○ ココまでくると漫画かよ!って気もしますが。。。
この【戦士】ってなんですか?
例えば、『人よ。神との縁、自ら求め、この立て替え立て直しのお役に立てよ』
『気づきある者、人を救えよ。』(ちょっと拾ってきました 笑)
貴方が、こんなお言葉をどこからか受信したらどう感じるでしょう?
人はそれぞれ「お役目」をもって生まれてきます。 なので、お役目のない方などこの世には存在しないはずです。
その、それぞれのお役目がなんであるのかをわかった上で、お役目部隊の地球防衛軍を結成するなら、「ど〜ぞお頑張りください」と、私メは応援いたします。。
しかし、よく目にするところの【お役目】と書いている方の中には、それって今貴方が感じてる興味や生きがいみたいなものじゃん? みたいに思ってしまうことも多いのです。
【正義のお役目】があると思うことで、【他人より優位】であると【自己満足】してる方も多く見かけますが、、『げんきですかー?』と聞いてみたい 笑
確かに人を導き、人類を、、また、地球を救うお役目のある方がいるとは私メも思っていますヨ。
しかし 現在あちらこちらでの発言を見ると【???】と感じることが多々ありますが、貴方もそう感じることはあるでしょ?
ひとは、誰かに(相手が神でも人でも)必要とされることで、生き甲斐や安心感が得られたりするものです。
そしてなにか目標を持つということも大切なことであり、また単調な日常に潤いを齎し、日々を楽しく過ごす意味でも必要なことだと思います。
最近はスピリチュアルがブームでもありますが、地球や人類を救うなどの話になると、一般社会では普通はなかなか会話にならないものです。
そこで気の合う仲間が集い、非日常の会話に花を咲かせるわけですが、その楽しいはずの集まりにも注意が必要だと思います。
いや、、楽しいはずの集まりだからこその注意が必要と言い換えた方が良いかもしれませんね。
また、よく目にする言葉に『私はその(お役目の)ために生まれてきたのだ』というのがありますね。。。
実は、私メもそのひとりなんですよ!
そのためにわざわざこの時代に世界のひな型であるニッポンに転生してきたのです!
こんなことを書いてるのもそのための働きなんです!
(わらってるでしょ? ウソかマコトか言うのはタダですから〜 笑)
まあ しかし、、冗談抜きでこんな私メにもその感覚はわかるんですよ。
もしかすると、こんなこと書いてる自体が、本当にそこに直結する私メのお役目だったりするのかもしれませんヨ 爆
お役目を与えられた前出の祈り行脚のお方は、この前の北海道の竜巻の日に、身体の不調かなにかで祈りを怠ってしまったのだそうです。
そして、、その結果として、、9人もの尊い命が奪われてしまったとか。。。
こんなことを書く自体、単なるスピ記事に引き合いに出されること自体、犠牲となられた方には失礼な話ですが、あえて書かせていただきます。そして心からご冥福をお祈り申し上げます。 【合掌】
亡くなられた方々は、不特定多数の人類に対する【見せしめ】で犠牲になられたのでしょうか?
だったら、そのお役目ってのはなんなんですか?
しかも、それだけスゴイ選ばれたお方なのかもしれませんが、たったひとりが祈りを怠ったからといって見せしめの様に9人もの尊い命を持っていってしまう神ってナニ?
とは思わないですか???
また、このお方はその神に、『役目を忘れたか? 神事を怠った罪を知れ』 とも言われたそうです。
この神のお言葉がどういう意味を持つのか?(大いなる意味が含まれているのか? そのままストレートにとっていいのか?)
この言葉の主が『ナニモノ』なのか、私メには知る由もないですけど、なぜ?・・なぜ?・・なぜ?・・しか言葉がありませんヨ。
また、、そうしなければ(災害を起こさないと)民は【神の存在】に気付かぬから・・・
などと書いてある啓示サイトも見受けられます。
いったいどの口がそんなことを言わせるのでしょうかね?
雷神と言えば菅公の例にあるとおり、恐ろしい祟り神としても有名ですね。
しかし、稲妻は稲に命を吹き込むように豊穣の神の働きでもあります。
このように太古からの日本人と神の付き合い方、祭り方の特徴でもあるヤオヨロズ思想(アニミズム)には祟りや災害を起こす様な神の働きも含まれて居ます。
そんな話は今はどうでも良いですね。
この竜巻の一件を見ても、お役目を担って尊い祈りの行脚をしているにせよ、考え方(受け取り方)が違ってやしませんか?
お役目と思うこと自体もそうかもしれませんが、そこに慢心はありませんか? などとやはりソコに疑問をもってしまうのですよ。。
(この方には、毎回オレが回避してやってるんだ。などの思いはないと思いますが・・)
まぁ、しかし、どんな思いを持つかは人それぞれで良いのです。
でもね、、神やある種の存在に言われたから自分にはお役目があるのだとか大袈裟に考えて、「やらねばやらねば」と自分を追い込むこともないし、ことが起こったからといって自分を責める必要もないのですよ!
そして、やるもやらぬもそれぞれの自由意志です。
お役目を与えるのと同時に、(このお方にも一般人と同様)自由意志も与えられているのではないでしょうか?
『役目を怠った罪を知れ!』 とはナニゴトですか!!!???
確かに『やる!』と宣言をした以上厳しいことはわかります。
しかし、ナンタラ神示しかり、このお方の神しかり、、私メにはなんかしっくりこないんですよ。
厳格が故に他の神に幽閉されてしまった金神だからでしょうか?
このお方とて肉体を持って生まれてきているのです。
いくら神の手足を自負しているのだとしても、修行の身でしょ?
こう言っちゃなんだけど、神様ってのはわからずやのヤクザの親分みたいなモノ?
って言うか、やっぱり役目を怠ったからって他の人の尊い命を奪い取る神なんてのは私メには理解できないんですよ。
神であるなら、起こった事象を喩えに、このお方に「サボらないように」と言うことの方便だとは思いますけど、本当に神の仕業で人の命を取ったと言うのなら「それはちょっと違うでしょー!」とその神に直訴したいところです!
もし本当に、祈りを怠ったことが命を取るに値する罪であり、取らねばならぬなら、どんなにお役目を与えるに値する凄い人だとしても、怠った本人を取るのが道理というものです!
自分の子供はかわいいけど、他人の子供はどうなってもいいなんてのは人間としても、まして神を名乗るのであるならば相当問題アリなんじゃないですか?
昔々の生贄ってのは人間の間違った考え方ではなく、本当に神が要求していたのでしょうか?
だとしたらなんだかなぁ〜としか思えませんね。
こんなこと言ったらその神とやらは私メを取りに来ますか?
だったらそれも良いでしょう!
ど〜ぞ、、っと首を長くしてお待ちしていますヨ(^o^)丿
現在、様々な情報が溢れています。 その中から何を選ぶのかは個々の皆さんの自由です。
祈りのイベントに参加しましょうと誘われたからただなんとなく祈るとか、面白そうだからとお祭り騒ぎに便乗するのではなく、自分の感覚で見極めて真心から祈ってくだされば良いのだと思います。
しかし、、祈りとは個々人が自由にできることで、しかも大勢で同時に合わせなければ通じないものではありません。
そして、祈りの募集に関しても、善のものと善でないもの(一見善と思える)の両方があることを感じてみる必要があるとは思いませんか?
先に、「光の戦士や虹の戦士」=漫画かよ? と書きました。
これらの発祥は西洋のニューエイジとか言う思想から出たものでしょうか?
この呼び方の中には、『我(我等)こそ正義である!』的な独善的な考えは含まれていないのでしょうか?
正義を振りかざし、正義の名の下に行われるものの代表に戦争がありますよね?
一神教同士が神を引き合いに出して戦うことのバカバカしさには反吐が出ます!
光の戦士達が戦う相手は何者ですか???
私メが未だ所属しています行者(加持祈祷師)の世界にもある意味魔は多いです 苦笑
チカラを欲するあまり、知ると知らざるとに関わらず、魔の者との契約が行われている場合も多くあるのです。
先の記事で管狐に喰らいつかれたことを書きましたが、その行者は、ある天台系の???マークがつくような修験寺院で得度を受けて修行したそうです。
なぜ私メがそこに近づいたかと言えば、以前知り合いがその行者に救われたのだけど、また会いに行ってみようかと思っていると聞き、それなら遠くないから様子でも見てくるかと、軽い気持でネタの収集に話を聞きに行ったのです。
部屋にはこれでもかー!というほどの仏像、、そして護摩壇、、、昼でも雨戸を閉めてあり、入ると一瞬でイヤ〜な空気がまとわりつく様に部屋が覆われていました。
しかし、そこは感じないようにしていたのですが、話の途中で常連さんから電話が入り、そのやり取りの中で、遠隔除霊が行われた途端に・・・
正直あれにはまいりました。。
普通なら明るくなるはずの光明真言で、なぜか空気が一気に重くなり、周りをなにやら蠢くモノらが・・・
おそらくそのトキ近くに居た私メに喰いついてきたのでしょうかね。。。 結界も張らずに、、、乱れた場での油断(おひとよし)は禁物ですね。
考えてみれば、頑固な私メにソコ(大きい意味では仏教)はお前の居場所じゃないよ〜と教えるためや、いろいろな闇を見せるためでもあったのかもしれません。
そしてまた、長いこと仏事に携わり陰が極まってしまったことにも原因があるものと思われます。(坊さんが皆ではなくて、私メの場合ということですよ)
他にも理由はあるでしょうが、魔物によってその行者は利用され、またそれによって、ある意味チカラを借りていたのでしょう。
そして、更なる道具として利用しようと私メに喰いついてきたのでしょうね。
しかし、その魔物は翌日守護の計らいで消滅させられましたので、今頃その行者さんはどうしているのでしょう。。。
どんなに志あるひとであっても落ちるのは一瞬です!
(このように守護など高次の存在がいるといえども経験から学ばせるため等、最初からの手出しはしません。しかも自らが手を下して消滅させるなどはよほどのことで、普通なら自分でやりなさいってことです 笑)
またトンデモな余談を書きました。。 爆
以前の記事で、災害回避ではなく、地球に愛を・・・ の祈りは良いと思います。 みたいなことを書いたことがありましたが、それも『条件付で良し』の意味で書きました。
様々な情報を見ると、おそらく同様に言いたいことは 『神が決断を下すまでのあいだ、人間の心が問われている』 ということなのでしょう?
もしも本当に、神にそのような計画があるのなら・・・
そこまできても人類の意識が変われなければ・・・
神の意に従うまでです。 違いますか?
人類の多くが本当に改心するのならともかく、カンニングして高い点数をとったとしても中身が伴っていなければ何も変りませんよね!?
『お前らが悪いから善良な私まで巻き添えを喰ってしまう』なんて思いだけは持たないように、個々が精一杯今を生きましょう。
どうか助けてくださいとか、勘弁してくださいなんて命乞いの祈りをするよりも、今を精一杯生きて、それでもダメなら潔く罪なりなんなりを償えば良いのではないでしょうか?
と、私メは思うんですけど。。。
地球を破滅に向かわせている根源はどこにあるのか? それらから目を逸らしていながら地球に愛を送っても根本的な問題解決になるのでしょうか?
もちろん祈りが無駄なことだとは思っていませんヨ。 祈りと行動(生き方)が伴っていればより素晴らしい結果に近づけることでしょう。
地球が悲鳴を上げるような乱開発や文明の発達が【”破滅への道”】を選んでしまっているのだとしたら、やはりひとりひとりが現実に目を向けてどう行動するかが、神々が今 人類に一番望まれることなのではないでしょうか?
私メ思うに、アセンションという事象が本当にあるとしたら、それは、、
そのように改心というか、その大いなる意識に目覚める人が多くなり、日ごろの生活から調和が自然になることであって、この世をリセットしてまったくの別世界が広がることではないと思います。
5次元だか何次元だかに移行して人間が半物質になるんでしたか?
私メにはサッパリ意味がわかりません。。
また、予知予言のことはそれらのメッセージなりを受けた以外の人にはよくわからないお話なんですけど、潜在意識にある恐れや、例えば日本沈没やアルマゲドンみたいな映画に子供心に恐怖を覚え、地球防衛軍やウルトラ警備隊よろしく、地球のために・・人類のために・・自分がなにかしたいと思う子供の正義感っていうか、それらの記憶みたいのが天から受けたメッセージ【天啓】であるかの如くに蘇ることもある意味チャネリングと捉えてしまうこともありえるのではないでしょうか?
一昔前までは現在のように100匹目の猿よろしく、チャネラーと呼ばれる人達がこれほど多く出てくることは考えられませんでしたね。
100匹目のサル現象の考え方も意味を取り違えて、嘆かわしいことに人の差別化や、一部の目覚めた(つもりになっている)『スピオタの慢心』に繋がっていることのなんと多いことか。。。
たとえば、あるセミナーで、『ここに集まった皆さんは目覚めた者であり、選ばれし者です』(100匹までのサル)
『しかし、ここに縁のなかった人は残念ながら・・・』みたいにね。
言われた方は気持ちがいいかもしれませんが、ある意味とても危険なことですね。
現在、垂れ流し状態で溢れんばかりのさまざまなスピ的な情報の多くは、情報源のレベル相応に誤解や混乱に満ちています。
そして、地球を護ろうとする存在がいるとするならば、逆に破滅させようとするネガティブな存在がいるのかもしれませんよね?
光の戦士とかの考え方もおそらくそんなところから生まれたものでしょう。
闇の組織だとか悪い宇宙人がいるとかもよく聞く話ですが、そういう考えがあるのなら、よけいに【情報の発信源やメッセージへの審神】が必要なこともわかるでしょう?
(八代亜紀で泣ける宇宙人ばかりならいいけどね 爆)
そう考えると、、あれやこれやと言葉巧みにそれらの良くない存在に巧妙に操縦されているんじゃないの? と思える様な方々も多いようには思えてきませんか?
あなた方は、今まで少しの疑問も持たなかったのですか?
わざとらしい【きれいごとの裏】には何があるのか? それとも何もないのか? 、、
すこしくらいは考えても損はないでしょう? 笑。
例えばアセンション、、、私メにはこの詳細はわかりませんけど、ネット上に垂れ流される様々な情報には何の根拠も裏づけもないものが殆どだと思いますが、それなのにそれらに対しては何か【乗り遅れてはイケマセン】的なお祭り騒ぎと言いますか、変なブームが起こること自体が、(アセンションと言われる現象が本当に起こるとするならば)その本質から逆に遠ざかってしまっている現象に観えてしまうのは私メだけでしょうか?
まあ、それは置いといて、、個人レベルの通信とちがい、全体に影響する(または混乱を招くような)情報は受者(チャネラーも、それを読み聞きした人も)が、どれだけの判断材料や知識を持つか、どの判断基準で公表するかは今まで以上に、より慎重にならなければいけない大きな課題となるでしょう。
どんなメッセージを受け取ろうと【審神】は欠かせません。。しかし、今はナンタラ神示に照らし合わせて様々なコジツケが成される程度の様ですね。
モチロン信憑性や確率がそれだけ高いものであれば、知らせることによって当然被害も少なく済むことに繋がり、その予言的メッセージはとても有意義なことなのですが、恐怖感をもたらすような啓示が何故貴方に降りるのか?
なぜ大本教や、その教えや書に傾倒した者だけにそれらのメッセージが集中して降りるのか?
同じ終末論にしても、キリスト教意識や教派神道意識(言葉は適切じゃないですが)によって降りてくる神示や啓示の特徴があるように感じます。
サポート意識の応用範囲みたいな違いでもあるのでしょうか?
(このあたりに気付きを得た方がおられましたらぜひとも御教授御願いします)
もし、精神階層での表現(ある地域の災害等)をビジョン視して、危機感をもち、なんとか地球人類に伝えて回避させたいと考える『精神階層の住人(肉体を持たない存在)』がいたとして、地上にいる受者に『あなたには世界を、地球を救う重大な使命があるのです』などとメッセージを送っているとしたら、、それはけして悪意のある行為ではないのですが、それを受けたチャネラーの考え方にかなりの勘違いによる影響が起こるでしょうし、その方が流した情報【彼にとっては真実】が多くの人の混乱を招いてしまうことになりますよね。
また、最近あった宇宙エネルギーが地球を覆う? そのときに「皆で祈りを捧げましょう」のお祭り騒ぎ。
なんでもかんでも『100万倍』になると。。。それを信じて祈ることがどんなことなのか、疑問を持った人はどれくらいいたでしょう?
その祈りのパワーはドコに吸収されたのでしょうねぇ?
しかし、大きく見ればそうした【何者かに踊らされる行為】も人類を進化させるためのひとつの手段としての側面もあるのかもしれませんね。
知らない方はいないと思いますが、一応チラッとだけ書いておきます(100万倍のお祭り記事)
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2006年10月17日に宇宙的な誘因事象が発生。
これより2013年までの間、引き金となる出来事が続きます。
そして、これこそがその最初となります。
第二宇宙の高次元からの紫外線パルスビームがこの日地球軌道と交差します。
地球は地球時間でおよそ17時間の間この紫外線ビームに曝されます。
このビームはハートチャクラと共鳴し、青・マゼンダ色の光りを放つ性質を持ちます。この周波数帯に共鳴しますが、第一宇宙の可視光線の周波数スペクトルの範囲外にあります。
しかしながら、第二宇宙の周波数帯で働くあなたがたの魂の性質により効果を発揮するのです。
結果として思念と感情が100万倍以上に増幅されます。繰り返しますが、最低100万倍以上増幅されます。
善悪にかかわらず、またポジティヴであるかネガティヴであるかに関係なく、すべての思考、感情、意図、意思が百万倍の強度に増幅されます。
ミッション1017では百万人のみなさんに、今ここにある地球、人類、そしてあなたがた自身に対し、ポジティヴで、優しく、善良な思考に集中するよう求めるものです。
どのような思考か、その性格はあなたがたの選択に任せますが、どのような思考であれ、それが現実化するのは期待するよりも速くなります。ほとんど奇跡といえるほどのことが起こるケースが出てきます。
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これに参加した方で、【100万倍の奇跡現象】を体験したかたはぜひコメントをお願いします!
祈りとは、一般的には平和的で美しい姿ですが、『祈り』自体は本来はネガティブな恨みの想念から生まれたものだそうですね。
不安があったりすると祈る、そもそもそこに『不安』を呼ぶのだそうです。
まぁそんな話はどうでも良いのですが、この記事を書くにあたり、ある方がこの100万倍のことについて霊査した記事を先ほど偶然見つけました。
この方は私メの様な「現在の一部のスピリチュアルにもの申す」的な方ではないようですし、その能力が何なのかは知りませんが、、、
その方の記事を少し抜粋してご紹介します(ナイショですよ 笑)
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あるサイトに行くといきなり頭になにか当たるものがある。
あれ?
内容を読んでみるとまた、宇宙規模の素晴らしい企画内容です。
しかし、何か矛盾を感じます。
100万倍規模でポジティブにもネガティブにも繋がるとある・・・変。
そして一番上にロゴのようなイメージのマークがあります。
綺麗なんですが、ずっと見ていると酔ってくる。
なんとも気持ち悪いのです。
実はパソコンの前に座っていられない・・・気持ち悪い・・・寝よう。
ってな具合で昨日はそそくさと寝てしまいました。
思い出しても実は気持ち悪い。酔ってしまうのですが、
思い切って実物を思い出しながらリーディングしてみます。
マーク自体に魔術がありますね。混乱させてくる。
光の中に入っていくかのように錯覚していきます。
気持ち悪いのに、光が視えてくる不思議なのです。
しかし、何か光が暖かくない。
光は温かみも一緒に感じるんですよ。いつも言葉に出していないから伝わらないかもしれませんが、
天界の光はぬくもりも一緒に感じるんですよ。なんというか、温度があるというか。
暫く見続けると手を繋ごうと沢山の手をとり、どんどん繋いでいきます。
握手するように沢山の手が視えてくる。
そして鎖のように繋いでいく。
一人の大きな顔がみえてきます。
意識をもっと集めろという気持ちになります。
一つに集中させろと・・・
そしてその意識を口の中に入れ込んでいきます。
エネルギーを吸い取っているんですね。
これか・・・目的は。
闇のエネルギーが増えることも知らず、知らずに導かれていく・・・
闇の奴らは負だろうが正だろうがエネルギーならなんでも吸い込んでいく。
魔の世界は居るだけでエネルギーが消耗していく。
精神世界の怖い部分です。
いいと信じてします。いいことばかりを信じてしまう。
そしてそのためにエネルギーを使ってしまう。
いつも感じるが、精神世界の裏をどうして見抜く力がないんだろう?
なぜオカシイと感じないのか・・・
こういうホームページを見るたびに憤りを感じる。
そして、人間の善という心を巧みにそそのかして利用してくる。
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○また、少し前に流行して、実はインチキだったといわれているホワイトバンドを例に出してこうも書いてあります。
人は善意という言葉に心が揺れてしまう。
これを身に着けていると自分はとても善人になったような気分になれるし、人にアピールできます。
そこに自己満足してしまう。
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この100万倍の情報を最初に流したのは、自己啓発のセミナー団体らしいですが、これらの団体は人々の善意を利用して金儲けのために色々な事を考えるものです。
今回の情報も、その団体を広く認知してもらうための虚偽、宣伝に過ぎないでしょう。 との書き込みも別のところで目にしました。
これらをどう判断するかは読んだ方それぞれにお任せしますが。。。
さて、話を戻して、、予言的チャネル情報を公表公開する判断ですが、自分ひとりが思うこと(受信した)ではやはり判断するには弱いですよね。
同じような啓示を受けた人、なんだかザワザワする、しかも感じてる時期が一致する。とか
せめてそのような人が、広い範囲(サークル仲間だけでは判断出来ません)で何人もいる とか、それらの人達での話し合いなどを経てからでもよいのではないでしょうかね?
そんなことをしていたら時間が足りませんか?
今回を含めて、地震回避の祈り等も、全体的には特に大きい混乱もなかったとは思いますが、その予言された地域に住む個人レベルではどうでしょう???
近年、大津波やハリケーン被害に遭ったところで、「また起きるぞ!」の噂による集団パニックなどを考えると、『視たんだから・聴いたんだからしょうがないでしょ!』ではあまりにもお粗末ではありませんか!?
まぁしかし、、各人が公表に踏み切った背景にはイロイロな事情や様々な悩みもあったことでしょう。
そして、現在の【この地球をなんとかしたいという善意】からのものだと思います。
引き合いに出していろいろ勝手に書かせて頂いてはいますが、私メは別にそれらの人を非難するつもりはありません。
ある意味その勇気ある行動への評価も出来るでしょう。
しかし、騒ぎを起こしておいて、その後回避されましたとか、他の地方で起きた小規模地震を利用(コジツケ)して、パワーは分散されました。程度の短いコメントで外れたことを誤魔化しておきながら、次は別のことでの祈りの賛同を煽っている連中もいますね。(念のために行脚のお方ではありませんよ)
このグループはいったい何を考えているのでしょう? どこを目指しているのでしょう? なにが目的なのか私メにはサッパリわかりません。
那須や東北に降臨した神団とはいったい何者なのでしょうか?
進軍を始めた? なにゆえ軍なのですか? 誰と戦うのでしょう?
しかも、何故「ず(づ)いず(づ)いず(づ)っころばし」なの?
隋を転覆させるの? まあこのところの隋(現・中国)は経済の発展などから資源の使い方や汚染など様々な問題はあるでしょうけど。。
しかし、この”ずっころばし”は江戸時代のお茶壷道中が通るときの様子を歌った童謡である解釈が一般的ですよね。
でも、そんなことはどうでもいいですね。どうせもっともらしい薀蓄をコジツケテ語るのでしょうからね。
※先の10/24の記事と、コメント欄に新しいもの(ダンダラボッチ)を載せてありますので、参照してください。
また、チャネルに関しての問題点と言えば、自己?メッセージのようなものがあります。
「地震と祈り」でも潜在意識ということで少し触れましたが、精神階層では相念はエネルギーとなりますから、自分がこうであって欲しいとか、こんなことが起きたら困る【或いはこんな乱れた世は1度終わってしまえ等のリセット願望も】といった希望や恐れ等【負のエネルギー】の集合体ができ、そしてまたそこに意識が向くごとにどんどんエネルギーを注いでしまい、より明確なビジョンとなって、あたかも外部からの通信のようにその情報を【逆チャネル】する場合も起こり得るのではないでしょうか?
元々自分の相念から発したモノ、もしくは同じ希望や不安を持った人達の集合意識(或いは集合的無意識)だったら、客観的な評価が出来ないので、疑うことなく「やっぱりそうなんだ」と、簡単にその情報を受け入れてしまう危険性もあるでしょう。
似たようなものに、歴史的人物、偉大なる宗教者や神仏に強い憧れのある場合にも、精神階層に『その方と会ってみたい、話してみたい願望』が蓄積されて、自己?メッセージを現象化(思い込みの神懸り現象など)させてしまうこともありますし、いわゆる念力体質の人など、制約のある意識状態(固定観念や知識からの偏見等)では、心の働きが外の世界をその人の信じているように現象化する手助けをしてしまうので、本人の想いがたとえ夢物語であっても、【客観的な事実であるかのような錯覚】を起こしてしまうこともあります。
そして思い込みがどんどん強くなれば、より現象化【本人にとっては完全に現実化】してゆくのではないでしょうか?
チャネルとは、基本的にはチャネラーが作り出しているヴァイブレーションに同調してくるもので、その人の普段の生活や人となりを観察すれば、その情報源の見当もある程度つくものです。
また、チャネラー本人の不満や不安、罪悪感や慢心など、精神状態によっても当然それに対応する波動領域にチャネルすることが考えられるので、日々の自己浄化を欠かさずに自らを高めて送信側の波動をシッカリ読み取れるようになれば、より確実で安全な交信ができるのではないでしょうか。
いつも同一の意識体と交信しているのであれば判断もしやすく、その存在がいつもと違うことを発信してきた場合には、会話形式で探る(簡単な審神)こともできるでしょう。
(その存在の言葉なりを否定してみるとわかりやすいかも・・?)
そして、急に別の波動(意識体)に入れ替わり、恐怖を感じさせる様な予言・予告のようなことを送信してきたのなら、ますます慎重に判断(審神)する必要があるでしょう。
ここで大切なことは、チャネラーが愛と光に満たされた状態であれば、不調和な領域の存在にはいっさいの手出しは出来ないということ。
そしてまた【受け入れない(拒否!)】と強く思えば無理にはやってこないということも言えるでしょう。
まあしかし、現段階でどこにも傷を持たない(完全に癒されている)愛と光に満たされたヒーラーやチャネラーが存在するとは到底思えませんがね 爆
この【愛と光に満たされた】という言葉をやたら連発してあるサイト等はけっこう多いですが、言ってる人ほど傷を抱えている様ですヨ。
(しかも言葉の使用頻度に比例してその傷も大きかったりもしますね。。。笑)
先にも慢心と書きましたが、ある程度進歩した(自己満足?)チャネラーの場合に陥りやすい注意点として、自分は特別等、【自己顕示欲や傲慢な波動】を持てば、おのずと【危険な領域に自ら近づく】ことになり、人間を惑わそうとしている良からぬ存在や、地上に近い波動領域をウロウロしてるヒマな霊体からしてみれば、格好の寄り代(台)になってしまうでしょう。
そして、最近の一連の地震騒ぎや100万倍の祈りなども、これらの人を惑わそうとしている良からぬ存在やヒマな騒霊からのものでない保証はありますか? 謎笑
また、その存在が、受者本人にしかわからないことを知っていたとしても、幽体のオーラから読み取ったり、アーカシックレコードの領域から拾ってくることもあるので、それだからといって、送ってきたメッセージのすべてを・・・ アクセスしてきた存在自体を・・・、 すぐに善だと判断することにも注意が必要でしょう。
そしてまた、高い階層から重苦しい領域にわざわざ何かを伝えに降りてくる進化した存在でも、地上から要求する質問には、なんでもホイホイ応じるということでもありません。
(なんでもかんでもお伺いをたてて、これはこうですと答えてるサイトもありますが、何にでも答えがもらえるなど【あり得ない】ことです。特に多いのが個人的な恋愛問題だったり 爆)
通信に必要な情報をあらかじめひとつの相念の集合体のようにして、媒体となるチャネラーの圏内に持ち込むような方法をとる存在からのチャネルの場合によく見受けられる現象として、あらかじめ用意していない不意な質問に対する的確な答えが出せない、或いはシドロモドロになる等もあるようです。
そうなると、それらの事情を理解していない人は、送信側の質が悪いとか、低いとかの判断をしがちの様ですが、上記の通り、そうとばかりも言えないこともありますので、その良否の判断は、やはり数をこなし、いろいろな経験、またはそれなりの知識がないとますます難しいところでしょう。【審神者の大事】
また、チャネリングには、、現在では少ない様ですが、【フルトランス(霊媒を操作する通信)】によるチャネリングもあります。
また、このフルトランスの状態は、わかりやすく言えば【憑依憑霊現象】と同じような状態なので、懸かってくるモノによっては猟奇的な事件に発展したり、いわゆる狐憑きのような行動や、受者(霊媒体質者)の精神が耐えられなくなったり、ひどいときには【もっていかれる】現象を引き起こすこともあるようです。
しかし、憑依に関して言えば、肉体の主権は本来の持ち主にあるというのが絶対的な自然の摂理・法則ですから、本人が強い意志を持つことで、容易に追い出すこともできるのです。
が、しかし、、そのような意志があれば初めから憑依などされないわけで、やはり第三者の手を借りて除霊・浄霊などを行うことも多いかと思います。
その場合には憑依した相手(霊体)を脅すよりも、内在する神性を如何に引き出し、自分のおかれている立場を納得させ、執着から離れることを理解させる方法が得策ですね。
とは言っても、やはり憑依される側が【自ら呼び寄せ】てしまう結果何度でも出戻り憑依したり、未熟な術者の判断や行為が、より複雑怪奇な問題に発展させてしまうことも一部ではあるようです。
憑依や頼ってこられる場合には、意思の疎通ができると良いのですが、できなくともその存在に気付いてあげること、そして心からの成仏を願うこと等で通じる場合も多いのです。
というか霊媒体質者の波動(波長)が上がれば憑いていられなくなったりもしますし、本人の向上心によって守護・指導の様な背後霊団等の協力を得られることもあります。
このようなことがわかれば、いわゆる似非宗教、トンデモ拝み屋などの霊感商法に引っ掛かることも防げますが、加持祈祷や祓いの作法では、施術者が【光の存在】(笑)であるならば浄化成仏も可能、という側面もあります。
しかし、どの場合でも憑依された本人が向上する気持ちを持たず、また自覚もなければ一時的には離れるけれど、同じような憑依が現象として繰り返されることにもなります。
(しつこく言いますが、自分でその領域にアクセスして呼び込んでいますので、何をどうしようと結果的には無駄になります)
※ 憑依とは、肉体を持たない霊が地上との関わりを持てる唯一の手段ですから、肉体がなければ果たすことの出来ない欲望を満たそうとしたり、何らかの表現をしようと機会を狙っている霊が霊媒体質者の意志とは無関係に、場合によってはフルトランスの状態を作り出すものですが、原則として、霊媒がその領域に意識を向けないかぎり近づいてはきません。
ですから、霊媒体質者はできるだけ危うきに近づかず、波動を下げずに明るくおおらかにいることが大切であり、また必要なことでしょう。
その辺で拾ってしまう程度の憑依ではフルトランスなどはほとんど起こりませんからそれほど気にすることはありませんが、霊に脅されるなどの恐怖体験は、ある意味トランス状態に近いものでもありますので注意が必要です。(心霊による恐怖体験は波長の法則であり、その本人に原因があることが多いです)
ひと昔前までは、このトランス状態でのチャネリング(御神託)が主流だったようですが、危険が伴なうので、必ず【審神者】が同席していました。
時代や地域によっては批判的な意見も多く、またキリスト教会では、神託を受ける霊媒と、審神者となる聖職者が役割分担をしてきた歴史もあったのですが、聖職者が権力をにぎるために霊媒が邪魔になり、排除したうえに『メッセージを受けることは罪である』みたいに【聖書に書き加えた】結果、悪名高い魔女裁判や、魔女狩りなどという悲しい歴史もありました。
※ この「魔女」という言葉は、後世になって卑しめられる目的でつけられた言葉ですが、もとは、聖なる神事にたずさわる「女性神職者」で、その多くは、ケルト系の巫女であったとされていますが、のちにヨーロッパで発布されたサリカ法典(原型は6世紀初頭成立)などにより、正式に「巫女」がヨーロッパ社会で禁止されると、彼女たちは『魔女』として社会的に葬り去られるようになったそうです。
最近では、チャネラーの幽体のオーラに、必要な情報を波動で印象付ける より単純で安全な方法が主流になっているようです。
これなども人々の意識の向上・進化によるところが影響しているのかもしれませんね。
この場合、送信側と受信側がより近い(ほぼ同じ)波動領域にいる場合が多く、それ以外では送者が受者の領域まで降りてきたり、通信の仲介者が、異なる領域間の伝達をする場合もあるようです。
また、潜在的にチャネルした場合には顕在意識に乗りやすい状態になったときに、頭の中にその情報が映像なり言葉として浮かぶ(ヒラメキ等も含む)ことがありますので、全ての人にその資質はあるのです。
(なぜ、こう書いたかを言えば、チャネラーだけが特別な存在ではないと言うこと。チャネラーの言葉を鵜呑みにせずに個々人が判断をすることが大事だからです!最近の流れを観ると、地に足つけてと言いながら、浮き足立って【ウワサ程度の情報】に流され踊らされている人が目立ちます)
さらに幽体が発達してくると、顕在意識としてはたらいている波動領域での受信ができるようになり、より明確なビジョンや言葉として受け取れるようになるようですが、フルトランスのとき以上に【受信者の主観が入り込みやすい】という難点もあります。
この場合には、予備知識がある場合とまったくない場合では、人それぞれの違いはありますが、神主・巫女(受者)と審神者の関係を考えればどちらが良いかはわかりますね? 笑
この場合のチャネリングでは肉体に危険を及ぼすことはまずないと言ってよいでしょうが、もう一度言っておきますが、受者の解釈や主観が反映されやすいので、その判断にはより注意が必要です。 (即ち 【愛と光】、不調和な波動を持たないようにすることがより良いチャネルをすることに繋がるということですね。 笑)
このように、注意点としては、チャネラーが善意でも、潜在的にもつ【理解力や固定観念】、ものの考え方によって【通信の内容が脚色されて変わってしまう】ことが上げられます。
一部の情報によれば、
原初の人類には、皆が天変地異などを知覚する能力が備わっていて、現在のフォトンベルトのエネルギーがこの遺伝子に働きかけ、元のあるべき姿に戻そうと作用しているという話もあるようです。
様々な変化が始まり、光のエネルギーが流入し始めたため(?)、一見すると天変地異の予兆とも思える様な地震や水害等の自然災害が増えていますが、それらの変化は我々人類に、【地球の上で暮らしているという当たり前過ぎる事を自覚させる為】に起っているとも言われていますね。
また、最近特に大型化する台風が多いのは、振動数の上昇により水分が蒸発しやすくなっているからで、けして温暖化などのせいばかりではないとも言われている様です。
地殻の変動も、より深いところから地上へと。。。しかしそれも外からのエネルギー干渉によるものだそうです。(一部の情報によれば・・ですがね 謎笑)
しかし、日本では自然現象としての地震は毎日必ずどこかで起きていて、震度が3〜4程度のユレも約3ヶ月おきくらいの割合で発生します。
その全てが神からの警告や何かの霊的な意味のある現象なのでしょうか?
ネットやメディアの発達したこの情報化社会、溢れる情報の中からどれを拾うかはそれこそ人間(個)の自由意志です。 そして、その情報をどう扱うかも・・・
その情報に、なにか感じるものがあったら一度立ち止まって感じてみて下さい。そして今の自分が【スーッと腑に落ちる】かをじっくり味わってみることです。
垂れ流し状態の様々な情報に、ただ踊らされることのないように、個々人が自身の感性を総動員して判断し行動に移していただけるよう希望します。
(踊らされること自体も個々人にとっては学びのために必要なことだったりしますが・・・)
人は元々神のワケミタマと言われているように、 どんな人でも大元に繋がっているのですから、ちょっとしたシンクロ現象など当たり前の出来事です。
それらに振り回されずに、その奥にあるものをじっくりと味わって1歩1歩確実に歩んでいただきたいと思います。
現在の地震や大災害云々や、○月○日に何かにフォーカスして皆で一斉に祈りを奉げる行為をやめろとは言いませんし、その全てが似非だとは言いませんが、結局はこの様なイベントは【自分だけは良いほうに行きたい】という人たち、お役目やら特別な何かを与えられたと意識している100匹目以内のオサルさん根性の持ち主達の【我こそは特別な存在ナリ】な自己満足で終わってはならないのですよ!
と、、ちょいと厳しい言葉を添えておきましょう。
ここまで長々と書いてきましたけど、いわれてみればわかりきったことだと思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、人はやはり楽しいほうに流されやすいもの。
わかっちゃいるんだけど、、、どこか片隅に追いやっていたり、見過ごしたり、あるいはわざと見ないようにしてる(見たくない)部分でもあったりすることなのかもしれません。
そして、自分は間違ってないと思う(思いたい)方も当然いることでしょう。
私メの言うことが正しいわけではありません。
しかし、改めてこんな意見もあるんだと知れば、皆さんも何か思い当たることがあるかもしれませんよね。
アセンションも、過去の様々な予言の様に、過ぎてみれば『なんだったの?』のブームで終わってしまうことなのかもしれません。
しかし、何か変化が起こるんだと多くの文献等の一致があるのなら、やはり何らかの変化があるものと考えられますよね。
しかし、お祭り騒ぎの様なブームになってしまって、本質が見えなくなっている方や、わかったような気になっているだけで、本当は最初からよくわかっていない方も多いように感じます。
また、ブームに便乗してるトンデモとか、イベントを立ち上げるだけの愉快犯みたいな方も居るように感じます。
何も起こらないより起こったほうが楽しいし、夢があるなんて考え方があっても良いかもしれません。
しかし、その流れの行き着く先はどこなんでしょう?
このブームに賛同しなければ、、祈りのイベントに参加しなければ、、
またはこんなつまらない疑問を投げかけたら仲間ハズレにされるなんてことはないでしょうけど、日本が戦争に負けるなど言おうものなら非国民の扱いを受けた時代とどこか似た感じはないでしょうか?(念のため、私メはその時代は知りませんけど。。)
そして、本当にその決められた日でなければ意味のない祈りがあるのでしょうか?
あるとしたらそれは何故ですか?
私メが祈りのお願いをするのなら、
『人知れず世のため他人のために【毎日5分の祈り】でもいいから捧げて下さい』
とお願いしますね。
最後に1つ
尊い祈り行脚をしておられる方について書きました。そして災害鎮静やその他の祈りのことなどいろいろなことをわざと【大袈裟】にあれこれ書いています。
誤解をしていただきたくないのは、私メはスピリチュアル否定派ではありませんし、皆さんに何でも疑ってかかれと言っているわけでもないこと、そして悪戯に各情報(または発信源)を批判するのが目的ではないということです。(まあ、そうとられてもかまいませんがね 笑)
そして、祈りに関しては、行脚の方はこう言っておられます。
『大きなエネルギーを祈りの力で封じれば、それは蓄積してやがてより大きな力が一度に開放されることにつながります。ですから、地震を止めてください。というようなお祈りはしないで、大きなエネルギーを少しずつ、散らして開放してください。 または、どうしても避けられないのであれば、人的被害を少なくしてください。という風に祈っている』
ですから、祈りに参加される方は、シッカリこれを憶えておく必要があるでしょう。
(するもしないも選択の自由です)
また、『私のように役目を持たされた者の力だけでは、もうどうにもならない。だからたくさんの方々の真心からの祈りをお願いしたいんです』 と言ってるそうです。。。
(するもしないも選択の自由です ←しつこい^^;)
(すでに参加されている方々はわかってることでしょうけど、言いたい放題好き勝手に書いてしまったので、ちょこっと付け加えさせていただきます)
そして、勝手に引用したり、引き合いに出してあれこれ書きましたことをここにお詫び致します。
長々とくだらない記事を書きましたが、、、
趣味なり、お役目なり、、キッカケはどうあれ、スピリチュアルを歩んでいる善意に満ちた方々には取捨選択の自由と行動ということを自己責任において考えていただきたい。
これが今回私メが言いたかったことなのです。 たぶん(笑)
くだらない長文にお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m
つらつらと原稿を書いているうちに、なんとなく思いがまとまりかけてきましたので、後からタイトルをコレに変えてみました。(変だけど 笑)
またくだらない戯言ですが、どこか1行でも心に残ることがあればそこから広げて、貴方なりに考えを巡らせてみていただければ幸いです。
では、ど〜ぞ
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スピリチュアル系のサイトやブログ等を読むと、とても爽やかなものを感じたり、また逆に開いた瞬間からドロドロ〜っとした感じがしたりもしますね。
ハイ 人によってはココもドロドロ系かもしれませんネェ〜 爆
それぞれの方の霊的世界?の探求等、歩んでる道を『スピリチュアル』という言葉でヒトククリにできるほど単純なものではないのですが、それぞれが『スピリチュアル』と枠付けして書いてあるので、このブログでもそうしていますが、そもそも皆さんにとってのスピリチュアルって何でしょうね?
とりあえずそんなわけで(←どんなわけだ・・・?)、話を進めますが、、
ドロドロに関しては、やはり「良くない」と判断して間違いないとは思いますが、「ピキーン!(笑)」っていう強い気の場合には個々に合う合わないの違いもありますので、良いのか悪いのかの判断に迷うことも多いのではないでしょうか?(悪いという言い方自体もアレですがね)
普段神社の様な場で、ピ〜ンと張り詰めた氣を感じるということは少ないでしょうが、、天地を結ぶ氣(皆さんの言う光の柱でしょうか?)や、場を包み込む様な氣(雰囲氣)、そして、、、
ソコに1っ歩足を踏み入れたときに、まるでズッシ〜ンと雷に打たれたかの様な、、特定の人だけを貫く様な重く鋭い氣もありますね。
(余談ですが、神の漢字は示して申すではなくて、稲光(神成)で示すという象形文字が発祥です。 神が申すを表すと、曰や音の文字になりますので、門の中で神の言の葉を聞けば闇となりますね 笑)
話を戻して、、
これらの氣を判断するときにはソノ時々の感じ方や本人の思い入れなどもあり、また、温かい・爽やか・清々しい・冷たい・寒い・刺激があるなどの感覚的な良否が同時にあると思いますので、人それぞれの感じ方で良いと思います(何でも経験が大事ですしね)
しかし、イヤ〜ナ感じが伴うときにはやはり(そのトキの自分には合わない場合も含めて)近づかない方が身のためと言うこともありますね。
(ピリピリするような刺激や頭痛などの痛みに関しては、良否の両方がありますが、寒いわけでもないのに、身体にブルブルと小刻みな振るえが来る場合は邪気と考えてほぼ間違いないでしょう。。ブルブルと言うよりプルプルって感じかな 笑)
そして、私メ ココで書いたかどうか忘れましたが、神社にはできるだけ朝の氣に入れ替わった後〜午後の3時までに参拝した方が良いです。
これは、いろいろな方が言ってることなのですが、あるブログには、時間の概念があるのは3次元に生きる人間だけなので、神様は24時間いつきてもいいと言ってるようなことが書いてありました。
まあ、確かにそれも一理あるのですが、果たして誰にでも通用することなのでしょうか?
『神様』が言うなら本当かもしれません。。
しかし、私メも『神様』から【寅の刻】を過ぎると陰の氣が満ちてくるので、出来るだけそれまでに済ませるようにと言われています。
※私メは朝の氣=雀の鳴き声等の合図〜午後3時までを参拝時刻としてお薦めしております。
(昔から朝を告げるのはニワトリと相場が決っていますが、最近は神社近辺にはなかなかいませんからねぇ〜 笑)
上に書いた寅の刻というのは、正式な時刻(=午後3時)を表したものではありません。
昔は子(ネ)の刻を23時〜1時(正刻0時)として、2時間おきに干支を用いて時刻を表していますので、本来なら寅は午前4時(正刻)頃となります。
この「頃」というのがミソで、昔は日の出日の入りを基準にしていたりもしますので、当然季節によっても変ってしまいますし、城内や公的機関と一般庶民では別の計算方法を使っていたらしいお話も残っています。
(時刻の出し方、数え方は別記事の月がでたでたをご覧ください)
【月がでたでた】の記事中から、私メが午後3時を『寅』と呼ぶようになった経緯を抜粋して追記しておきます。。
この【神社参拝は寅の刻まで・・】というのは、背後のあるお方から言われたことなんですが、意味としては、「通常の神社参拝は、午後3時までに切り上げよ」ということなんですよ。
となると、本来の時刻の呼び方では【未の刻ハつ(おやつ)から昼七つの申の刻】となりますね。
では、私メの背後はウソをついたのでしょうか?
・・・そうではなく、私メ『寅の刻まで』といわれたときに、
「あぁ・・ 午後3時までだね」と・・・ 笑
私メの中では、勝手に方位に例えた位置として「寅までね」と解釈をしたのです 笑
時刻を表す昔の単位をそのようにうろ覚え(じつは勘違い)していたので、急遽時刻の制限を伝えるために寅と表現したものらしいです。(釘を刺しておかないと無鉄砲なので? 汗)
こう言えばこの子にはスグにわかるハズだ。。とね あはは。。
実際アチラ側にとっては時間などそれほど重要なことではないですが、コチラに生を受けたものにとっては、注意すべきもあるのです。
また、交信(通信?)に関しても、伝えることが目的の場合には、相手(受け手)がわかりやすい方法で伝えるということですね。
しかし、自分で学び感得しなければならないことや、今知らなくて良いことは【聞いても教えてくれるものではありません】よ。
(成長を止める行為だからでしょうね)
もちろんソレナリの用事があるときや、どうしても時間的に無理な場合は別で、それなりのサポートもありますが、基本的には神や守護といえど手出しはしません。(守護の霊は身を守る核シェルターではありません)
※祭りや神事に参加の場合は当然別ですよ。
ではいったいどちらのカミサマの言うことが正しいのでしょうか?
答えは『両方』でしょうね 笑
しかし、一般向けかどうかは別です!
そして、どちらの説を取るかも貴方次第です!
そのサイトでは憑依体質者のことを取り上げて、「そのような人には危険はあるかもしれないが、影響を受ける憑依体質者はそうそういるわけではない」みたいに書いてありましたが、
『24時間いつ来ても良い』 『アチラの世界では時間の概念は無い』 確かにそうです。
しかし、神が人間に何かを伝えるということであれば、コチラの世界、対象となる人間の生活に照らし合わせたことを言うのが筋ではないでしょうか?
まあ、おそらくこの方はそれら陰の氣に影響されない相当出来たお方なので、神にそう言われたのかもしれませんね。
(誰が行ってもOKと書いているのはアウトですよ)
私メは、「寅の刻」のことを聞く前の経験上から、やはり行くべきでない時間帯があることを体感しています。
それを一番感じたのが鹿○神宮の鹿苑から先の場です。
しかし、先ほどのブログには、ココの神職の言葉として、時間外参拝のことを大笑いして「夕方の神社もオツだよ」と言っていたと書いてありました。
お〜い、、途中の右に折れる細いわき道の奥に行ってごら〜ん。。。なにが出るかな??? 爆
(然るべき処にお帰りいただいたからもういないと思うけど、違うヤツがいるかも・・謎笑)
それはどうでも良いのですが、、一番の問題なのが【神社には何をしに行くのか?】 なのでありますね。
私メ、僧籍に入る前は毎年正月には、富士宮の浅間大社〜富士山を1周していまして、元旦の夜に浅間大社の砂利の駐車場で車中泊をしたこともありますが、灯りに照らされた朱塗りの社殿や拝殿などとてもきれいで、しかも正月にして誰も居ないその場を独り占めした善き想い出もあります。
(因みに2日にいただけるつきたて餅はうまいぞ〜♪)
そんなライトアップされた景観を楽しみたいとか、家路への近道や散歩なら別ですが、何か目的があるから参拝に行くということであればなにゆえ夜なの? ですよね。
(言葉の収まりがいいので夜と書きます)
静かな夜に思う存分神様と繋がるために行くのでしょうか?
誰にも邪魔をされずにゆっくりと気の済むまで参拝したい気持ちはわかりますが、神様は神社に常駐してるわけではありませんよ。
肝試しでもないのにわざわざその時間帯を選んで参拝に行く、その方なりの、夜でなくてはならない大事な大事な目的があるのでしょうか?
この、時間帯に関することは、神社に限らず寺院や聖地にも言えることだと思いますが、確かに慣れということもありますね。
私メが先達をしてる霊山では丑三つ時であろうと山に登ったこともあります。
かなり陰の氣に満ち、粘り気のあるような重い雰囲気はあるものの、特に気になることもなかったりもしたのですが、ある霊的能力者に言わせると、ソコに壁があるかのように山道(参道)入り口から先には進めないそうです。
モチロン私メはソレナリの精神状態にスイッチを入れ、不動真言なんぞを唱えたりもしながら登るわけですから、自己暗示やら信じるモノに救われる的な相乗効果もあるのでしょう。
しかし、霊山は聖地ではありますが、誰もがソレをしたからと言っても行場という意味では万人向けではありませんのでご注意を!
そんな私メもこの霊山の中でもヤバイと感じる場もありますが、なぜ、そのときの私メは普通に登れたのでしょう?
答えはそこの氣自体に馴染んでいたからで、今だったらおそらく夜中に登ることはできないでしょうね。(登る気がしないということもありますが・・)
場の氣に馴染むということで考えれば先にオハナシした宮司さんの意見もソレですね。
場の雰囲気をどのように解釈するかは、それぞれの自由で良いと思いますが、私メの意見としては、お祭りや日没後の御神事(祭祀)などに参列する場合などは別にして、普通に個人で参拝にいくときには避けるべき時間帯があることに気をつけていただいた方が良いと思います。
(古来神社では、特別なお祭りはどこでも夜間(子の刻から開始が多いかな)に行われていましたが、特別なマツリを除いて明治以降はだいたい昼間に行うようになっています)
まあしかし、これだけは言っておきますけど、神社やお寺(特に神社)は、管理された場所でもありますよ。
日ごろから無人の小さい宮や自治会館が隣接した地域のコミュニティの場であっても、夜中にいってナニヤラ怪しい行動をするのは常識から言ってもどうかと思いますし、管理側からしたら迷惑な話ですよ!
たとえ貴方がソコを開かれた場に感じているとしても時間外には(決った時間帯がなくても)不法侵入者的に見られても仕方ないことでしょうね。
(わざわざ夜に出かける方は、凡そ何かしら霊的ななチカラを欲してる場合が多いのですが、闇夜のカラスは・・・・・どうなんでしょうかねぇ。。。)
※紛らわしくなるといけませんので、時刻のこと少し説明しておきましょう。
本来、寅の刻というと午前4時頃のことですから、正確にいうなら未〜申の間には参拝を終えるようにとのことです。
私メはこの江戸時代の2時間ずつの区切りや、ナンドキというそのトキが現在の何時を示すのかを知らなかったので、その場(神社の境内)で、背後の存在から急遽時刻を知らせるためにわかり易い説明をしていただいたのです。
(ピタリその時間ということではありませんが、私メには、時刻よりも方位的な位置で考える方がわかりやすかったということです)
その後はこの寅で通じていますので、この表記をしています。
なので、現代時刻で言うと、神社の参拝は午後3時までには終えるよう心がけると良いということになります。
(これは、身に受けた聖地の御神氣をそのまま維持するためですから、枯れても良い方はこの限りではございませんのことよ おほほ♪)
私メ、ライトワークと言う物が何であるのかわかりませんが、よく聞くところの【光の柱を立てる】と言われることなのでしょうか?
また、それを【御神事・神業】とか呼ぶそうですが、一般の主婦が、『今日は○○神社で御神事をして神様を起こしました』 または『光の柱を立ててきました』などとブログ等に書いてあるのを読んだりして、最初は何事かと思いましたヨ。
しかし、何人もの方がこの【御神事】をされているであろう有名神社に於いて、いや〜な感じを受けたり、なにも無いように感じることがあるのは何故でしょうか?
私メの感じ方に問題があるのかもしれませんが、皆さんはそんな経験はないですか?
この御神事、観える観えないは別にして、イメージワーク(そんなつもり)として行っているものと推測致しますが、納得できる説明がされてるところがあれば教えていただきたいです。
また、それぞれが勝手にいろいろとやってることの意味を、一度考えてみていただきたいと思います。
確かに、ソレが出来る人はいるのでしょう。しかしそれほど多くはいませんよね?
それどころか、本人は出来るつもりになっているけど、逆にグチャグチャにして廻ってるなんてことはないのでしょうかね?
さて、ハナシを戻して、
「今日はこんなことがありました〜」っていうのは良いとしても、大災害等ある種の恐怖感を植付けたり、祈りのイベントなどに賛同者を募り、、しかもそこに覆い被せるようにナンタラ神示を自己解釈したような自論を展開して自分の領域に引き込もうとする書き込みやコメント等も多くみられます。(持論の展開では私メひとのことはいえませんね 笑)
誰のどれが真実かは私メにはわかりませんが、中にはまるで夢物語りの様なものもあれば、終末的予言などに右往左往してるような方も見かけますね。
ノストラダムスの予言したとされる年が無事に過ぎれば、『解釈が違ってた』とか『今度はコレ』とばかりに、いろいろ引き合いに出しては同じ騒ぎが毎度繰り返されています。
世間(ごく一部でしょうけど)を騒がせた地震や噴火が起こるとされていた日も大難なく何度も無事に過ぎています。
このままでは、ああなるこうなると様々な恐怖感を植付けては逆にある種の希望を持たせるのは【似非宗教】のやり方そのままですね。
そう、スピラーの皆さんが嫌っているはずの宗教ってヤツですよ!
まるで、あっちの水は苦くて、こっちの水は甘い、、、蛍狩りの歌みたいですね。
そしてそこに集う方たちは集められた蛍の様です。
(もっともホタルも【光の存在】ですから、それをヨシとしてしまうのでしょう 爆)
私メに予言させていただけるなら、何かのコジツケをしながらソノ終末はおそらく暦のひとまわり(12年)程度ずつ引き伸ばされて語られ、そのうち飽きてはなれる人もいますが、世代交代しながら、ソノ日が来るまで語り継がれることでしょう。 笑
そして、最近の流行?に【○月○日はこういう日ですから、皆で祈りを合わせましょう】というイベントが数々行われていますね。
どうも一連の『一緒に祈りましょう』騒ぎは、各グループの『信者勧誘の運動』の様に見えてしまうんですけど、私メの目や魂が曇っているからなのでしょうか???
いえね、本当にソノ祈りによって毎回未曾有の大災害が回避されているとかなら、、、そして、それが証明できるのなら私メは何も言いませんヨ! ええ そうですとも。。
精神世界の中のある階層には地上に起こる前の出来事がすでに表現されているとも言われています。
これは、人間の自由意思・想念等によって変化もすることでしょうし、精神階層には地上のような距離や時間はないので、反映されるのも地上の時間の流れとは異なりますので日時を指定した予言は、当たる確率はかなり低くなります。 っていうかほとんど当たりません。
もしも神様?が日時を指定したのなら聞いた方にとってはそれは真実でしょう。。。
そして、何事か事象が起こったあとでは『分散されて、ドコソコで起きた規模の小さい地震で済みました』などなど、何とでもコジツケることもできますね 笑
もっとも人間の自由意思によって変化するということもあるので、心からの祈りが災害の回避・鎮静になるというこもモチロン有り得るでしょう。
しかし、大勢の意識が、祈りの前提として、、
『大地震が来るんだ。大災害が起こるんだ』の思いを持ってしまうのはどうなんでしょうねぇ?
それ自体が我々の選んだ自由意思には成り得ないのでしょうか?
あとから、『それは嫌なので、起こらないで欲しいのです』と否定したところで・・・
祈りの大前提にあるのは【起こる】コトを回避または鎮静化させたいということでしょう?
潜在意識や集合的無意識はときとして在らぬ方向に働き、在らぬ事象を引き起こすことがあります。
そう考えてみると、分散されたのではなく、逆にその分散されたと云われる小規模な
【地震を起こす元】となってしまうことは絶対に無いと言えないでしょう。
いえ、なにも脅かそうというのではありませんよ。(ちょっと屁理屈なだけです 爆)
私メには能力がありませんから言えることなんですが、実態のないものに対しては、考え方次第ではそうとも思えてしまうってだけのことなんですよ。
しかも、心の片隅に、(無意識にも)恐怖感があれば、おのずと祈りにも【ご利益信仰】の気持ちが顕れてしまいませんか?
本来は、『どうか地震や噴火が起きませんように・・・』の祈りを捧げることよりも、人類が間違った生き方をしないことが一番ですよね!
わかっちゃいるけど、現状を見れば・・・ トホホですね。(よーくわかります)
率先して祈り行脚を行っているあるお方は、事象は浄化のために起こることなので、それを【止める】のではなく、【より被害が少なく済むように】祈るのだと言っておられるようですね。
そして、それをすることが自分に与えられた『お役目』だと・・・
よくスピ系のところを覗きにいくと、この【お役目】という言葉を見かけます。
そして、前にも書きましたが、「光の戦士や虹の戦士」
お仕置きしてして〜!なんちゃって.。o○ ココまでくると漫画かよ!って気もしますが。。。
この【戦士】ってなんですか?
例えば、『人よ。神との縁、自ら求め、この立て替え立て直しのお役に立てよ』
『気づきある者、人を救えよ。』(ちょっと拾ってきました 笑)
貴方が、こんなお言葉をどこからか受信したらどう感じるでしょう?
人はそれぞれ「お役目」をもって生まれてきます。 なので、お役目のない方などこの世には存在しないはずです。
その、それぞれのお役目がなんであるのかをわかった上で、お役目部隊の地球防衛軍を結成するなら、「ど〜ぞお頑張りください」と、私メは応援いたします。。
しかし、よく目にするところの【お役目】と書いている方の中には、それって今貴方が感じてる興味や生きがいみたいなものじゃん? みたいに思ってしまうことも多いのです。
【正義のお役目】があると思うことで、【他人より優位】であると【自己満足】してる方も多く見かけますが、、『げんきですかー?』と聞いてみたい 笑
確かに人を導き、人類を、、また、地球を救うお役目のある方がいるとは私メも思っていますヨ。
しかし 現在あちらこちらでの発言を見ると【???】と感じることが多々ありますが、貴方もそう感じることはあるでしょ?
ひとは、誰かに(相手が神でも人でも)必要とされることで、生き甲斐や安心感が得られたりするものです。
そしてなにか目標を持つということも大切なことであり、また単調な日常に潤いを齎し、日々を楽しく過ごす意味でも必要なことだと思います。
最近はスピリチュアルがブームでもありますが、地球や人類を救うなどの話になると、一般社会では普通はなかなか会話にならないものです。
そこで気の合う仲間が集い、非日常の会話に花を咲かせるわけですが、その楽しいはずの集まりにも注意が必要だと思います。
いや、、楽しいはずの集まりだからこその注意が必要と言い換えた方が良いかもしれませんね。
また、よく目にする言葉に『私はその(お役目の)ために生まれてきたのだ』というのがありますね。。。
実は、私メもそのひとりなんですよ!
そのためにわざわざこの時代に世界のひな型であるニッポンに転生してきたのです!
こんなことを書いてるのもそのための働きなんです!
(わらってるでしょ? ウソかマコトか言うのはタダですから〜 笑)
まあ しかし、、冗談抜きでこんな私メにもその感覚はわかるんですよ。
もしかすると、こんなこと書いてる自体が、本当にそこに直結する私メのお役目だったりするのかもしれませんヨ 爆
お役目を与えられた前出の祈り行脚のお方は、この前の北海道の竜巻の日に、身体の不調かなにかで祈りを怠ってしまったのだそうです。
そして、、その結果として、、9人もの尊い命が奪われてしまったとか。。。
こんなことを書く自体、単なるスピ記事に引き合いに出されること自体、犠牲となられた方には失礼な話ですが、あえて書かせていただきます。そして心からご冥福をお祈り申し上げます。 【合掌】
亡くなられた方々は、不特定多数の人類に対する【見せしめ】で犠牲になられたのでしょうか?
だったら、そのお役目ってのはなんなんですか?
しかも、それだけスゴイ選ばれたお方なのかもしれませんが、たったひとりが祈りを怠ったからといって見せしめの様に9人もの尊い命を持っていってしまう神ってナニ?
とは思わないですか???
また、このお方はその神に、『役目を忘れたか? 神事を怠った罪を知れ』 とも言われたそうです。
この神のお言葉がどういう意味を持つのか?(大いなる意味が含まれているのか? そのままストレートにとっていいのか?)
この言葉の主が『ナニモノ』なのか、私メには知る由もないですけど、なぜ?・・なぜ?・・なぜ?・・しか言葉がありませんヨ。
また、、そうしなければ(災害を起こさないと)民は【神の存在】に気付かぬから・・・
などと書いてある啓示サイトも見受けられます。
いったいどの口がそんなことを言わせるのでしょうかね?
雷神と言えば菅公の例にあるとおり、恐ろしい祟り神としても有名ですね。
しかし、稲妻は稲に命を吹き込むように豊穣の神の働きでもあります。
このように太古からの日本人と神の付き合い方、祭り方の特徴でもあるヤオヨロズ思想(アニミズム)には祟りや災害を起こす様な神の働きも含まれて居ます。
そんな話は今はどうでも良いですね。
この竜巻の一件を見ても、お役目を担って尊い祈りの行脚をしているにせよ、考え方(受け取り方)が違ってやしませんか?
お役目と思うこと自体もそうかもしれませんが、そこに慢心はありませんか? などとやはりソコに疑問をもってしまうのですよ。。
(この方には、毎回オレが回避してやってるんだ。などの思いはないと思いますが・・)
まぁ、しかし、どんな思いを持つかは人それぞれで良いのです。
でもね、、神やある種の存在に言われたから自分にはお役目があるのだとか大袈裟に考えて、「やらねばやらねば」と自分を追い込むこともないし、ことが起こったからといって自分を責める必要もないのですよ!
そして、やるもやらぬもそれぞれの自由意志です。
お役目を与えるのと同時に、(このお方にも一般人と同様)自由意志も与えられているのではないでしょうか?
『役目を怠った罪を知れ!』 とはナニゴトですか!!!???
確かに『やる!』と宣言をした以上厳しいことはわかります。
しかし、ナンタラ神示しかり、このお方の神しかり、、私メにはなんかしっくりこないんですよ。
厳格が故に他の神に幽閉されてしまった金神だからでしょうか?
このお方とて肉体を持って生まれてきているのです。
いくら神の手足を自負しているのだとしても、修行の身でしょ?
こう言っちゃなんだけど、神様ってのはわからずやのヤクザの親分みたいなモノ?
って言うか、やっぱり役目を怠ったからって他の人の尊い命を奪い取る神なんてのは私メには理解できないんですよ。
神であるなら、起こった事象を喩えに、このお方に「サボらないように」と言うことの方便だとは思いますけど、本当に神の仕業で人の命を取ったと言うのなら「それはちょっと違うでしょー!」とその神に直訴したいところです!
もし本当に、祈りを怠ったことが命を取るに値する罪であり、取らねばならぬなら、どんなにお役目を与えるに値する凄い人だとしても、怠った本人を取るのが道理というものです!
自分の子供はかわいいけど、他人の子供はどうなってもいいなんてのは人間としても、まして神を名乗るのであるならば相当問題アリなんじゃないですか?
昔々の生贄ってのは人間の間違った考え方ではなく、本当に神が要求していたのでしょうか?
だとしたらなんだかなぁ〜としか思えませんね。
こんなこと言ったらその神とやらは私メを取りに来ますか?
だったらそれも良いでしょう!
ど〜ぞ、、っと首を長くしてお待ちしていますヨ(^o^)丿
現在、様々な情報が溢れています。 その中から何を選ぶのかは個々の皆さんの自由です。
祈りのイベントに参加しましょうと誘われたからただなんとなく祈るとか、面白そうだからとお祭り騒ぎに便乗するのではなく、自分の感覚で見極めて真心から祈ってくだされば良いのだと思います。
しかし、、祈りとは個々人が自由にできることで、しかも大勢で同時に合わせなければ通じないものではありません。
そして、祈りの募集に関しても、善のものと善でないもの(一見善と思える)の両方があることを感じてみる必要があるとは思いませんか?
先に、「光の戦士や虹の戦士」=漫画かよ? と書きました。
これらの発祥は西洋のニューエイジとか言う思想から出たものでしょうか?
この呼び方の中には、『我(我等)こそ正義である!』的な独善的な考えは含まれていないのでしょうか?
正義を振りかざし、正義の名の下に行われるものの代表に戦争がありますよね?
一神教同士が神を引き合いに出して戦うことのバカバカしさには反吐が出ます!
光の戦士達が戦う相手は何者ですか???
私メが未だ所属しています行者(加持祈祷師)の世界にもある意味魔は多いです 苦笑
チカラを欲するあまり、知ると知らざるとに関わらず、魔の者との契約が行われている場合も多くあるのです。
先の記事で管狐に喰らいつかれたことを書きましたが、その行者は、ある天台系の???マークがつくような修験寺院で得度を受けて修行したそうです。
なぜ私メがそこに近づいたかと言えば、以前知り合いがその行者に救われたのだけど、また会いに行ってみようかと思っていると聞き、それなら遠くないから様子でも見てくるかと、軽い気持でネタの収集に話を聞きに行ったのです。
部屋にはこれでもかー!というほどの仏像、、そして護摩壇、、、昼でも雨戸を閉めてあり、入ると一瞬でイヤ〜な空気がまとわりつく様に部屋が覆われていました。
しかし、そこは感じないようにしていたのですが、話の途中で常連さんから電話が入り、そのやり取りの中で、遠隔除霊が行われた途端に・・・
正直あれにはまいりました。。
普通なら明るくなるはずの光明真言で、なぜか空気が一気に重くなり、周りをなにやら蠢くモノらが・・・
おそらくそのトキ近くに居た私メに喰いついてきたのでしょうかね。。。 結界も張らずに、、、乱れた場での油断(おひとよし)は禁物ですね。
考えてみれば、頑固な私メにソコ(大きい意味では仏教)はお前の居場所じゃないよ〜と教えるためや、いろいろな闇を見せるためでもあったのかもしれません。
そしてまた、長いこと仏事に携わり陰が極まってしまったことにも原因があるものと思われます。(坊さんが皆ではなくて、私メの場合ということですよ)
他にも理由はあるでしょうが、魔物によってその行者は利用され、またそれによって、ある意味チカラを借りていたのでしょう。
そして、更なる道具として利用しようと私メに喰いついてきたのでしょうね。
しかし、その魔物は翌日守護の計らいで消滅させられましたので、今頃その行者さんはどうしているのでしょう。。。
どんなに志あるひとであっても落ちるのは一瞬です!
(このように守護など高次の存在がいるといえども経験から学ばせるため等、最初からの手出しはしません。しかも自らが手を下して消滅させるなどはよほどのことで、普通なら自分でやりなさいってことです 笑)
またトンデモな余談を書きました。。 爆
以前の記事で、災害回避ではなく、地球に愛を・・・ の祈りは良いと思います。 みたいなことを書いたことがありましたが、それも『条件付で良し』の意味で書きました。
様々な情報を見ると、おそらく同様に言いたいことは 『神が決断を下すまでのあいだ、人間の心が問われている』 ということなのでしょう?
もしも本当に、神にそのような計画があるのなら・・・
そこまできても人類の意識が変われなければ・・・
神の意に従うまでです。 違いますか?
人類の多くが本当に改心するのならともかく、カンニングして高い点数をとったとしても中身が伴っていなければ何も変りませんよね!?
『お前らが悪いから善良な私まで巻き添えを喰ってしまう』なんて思いだけは持たないように、個々が精一杯今を生きましょう。
どうか助けてくださいとか、勘弁してくださいなんて命乞いの祈りをするよりも、今を精一杯生きて、それでもダメなら潔く罪なりなんなりを償えば良いのではないでしょうか?
と、私メは思うんですけど。。。
地球を破滅に向かわせている根源はどこにあるのか? それらから目を逸らしていながら地球に愛を送っても根本的な問題解決になるのでしょうか?
もちろん祈りが無駄なことだとは思っていませんヨ。 祈りと行動(生き方)が伴っていればより素晴らしい結果に近づけることでしょう。
地球が悲鳴を上げるような乱開発や文明の発達が【”破滅への道”】を選んでしまっているのだとしたら、やはりひとりひとりが現実に目を向けてどう行動するかが、神々が今 人類に一番望まれることなのではないでしょうか?
私メ思うに、アセンションという事象が本当にあるとしたら、それは、、
そのように改心というか、その大いなる意識に目覚める人が多くなり、日ごろの生活から調和が自然になることであって、この世をリセットしてまったくの別世界が広がることではないと思います。
5次元だか何次元だかに移行して人間が半物質になるんでしたか?
私メにはサッパリ意味がわかりません。。
また、予知予言のことはそれらのメッセージなりを受けた以外の人にはよくわからないお話なんですけど、潜在意識にある恐れや、例えば日本沈没やアルマゲドンみたいな映画に子供心に恐怖を覚え、地球防衛軍やウルトラ警備隊よろしく、地球のために・・人類のために・・自分がなにかしたいと思う子供の正義感っていうか、それらの記憶みたいのが天から受けたメッセージ【天啓】であるかの如くに蘇ることもある意味チャネリングと捉えてしまうこともありえるのではないでしょうか?
一昔前までは現在のように100匹目の猿よろしく、チャネラーと呼ばれる人達がこれほど多く出てくることは考えられませんでしたね。
100匹目のサル現象の考え方も意味を取り違えて、嘆かわしいことに人の差別化や、一部の目覚めた(つもりになっている)『スピオタの慢心』に繋がっていることのなんと多いことか。。。
たとえば、あるセミナーで、『ここに集まった皆さんは目覚めた者であり、選ばれし者です』(100匹までのサル)
『しかし、ここに縁のなかった人は残念ながら・・・』みたいにね。
言われた方は気持ちがいいかもしれませんが、ある意味とても危険なことですね。
現在、垂れ流し状態で溢れんばかりのさまざまなスピ的な情報の多くは、情報源のレベル相応に誤解や混乱に満ちています。
そして、地球を護ろうとする存在がいるとするならば、逆に破滅させようとするネガティブな存在がいるのかもしれませんよね?
光の戦士とかの考え方もおそらくそんなところから生まれたものでしょう。
闇の組織だとか悪い宇宙人がいるとかもよく聞く話ですが、そういう考えがあるのなら、よけいに【情報の発信源やメッセージへの審神】が必要なこともわかるでしょう?
(八代亜紀で泣ける宇宙人ばかりならいいけどね 爆)
そう考えると、、あれやこれやと言葉巧みにそれらの良くない存在に巧妙に操縦されているんじゃないの? と思える様な方々も多いようには思えてきませんか?
あなた方は、今まで少しの疑問も持たなかったのですか?
わざとらしい【きれいごとの裏】には何があるのか? それとも何もないのか? 、、
すこしくらいは考えても損はないでしょう? 笑。
例えばアセンション、、、私メにはこの詳細はわかりませんけど、ネット上に垂れ流される様々な情報には何の根拠も裏づけもないものが殆どだと思いますが、それなのにそれらに対しては何か【乗り遅れてはイケマセン】的なお祭り騒ぎと言いますか、変なブームが起こること自体が、(アセンションと言われる現象が本当に起こるとするならば)その本質から逆に遠ざかってしまっている現象に観えてしまうのは私メだけでしょうか?
まあ、それは置いといて、、個人レベルの通信とちがい、全体に影響する(または混乱を招くような)情報は受者(チャネラーも、それを読み聞きした人も)が、どれだけの判断材料や知識を持つか、どの判断基準で公表するかは今まで以上に、より慎重にならなければいけない大きな課題となるでしょう。
どんなメッセージを受け取ろうと【審神】は欠かせません。。しかし、今はナンタラ神示に照らし合わせて様々なコジツケが成される程度の様ですね。
モチロン信憑性や確率がそれだけ高いものであれば、知らせることによって当然被害も少なく済むことに繋がり、その予言的メッセージはとても有意義なことなのですが、恐怖感をもたらすような啓示が何故貴方に降りるのか?
なぜ大本教や、その教えや書に傾倒した者だけにそれらのメッセージが集中して降りるのか?
同じ終末論にしても、キリスト教意識や教派神道意識(言葉は適切じゃないですが)によって降りてくる神示や啓示の特徴があるように感じます。
サポート意識の応用範囲みたいな違いでもあるのでしょうか?
(このあたりに気付きを得た方がおられましたらぜひとも御教授御願いします)
もし、精神階層での表現(ある地域の災害等)をビジョン視して、危機感をもち、なんとか地球人類に伝えて回避させたいと考える『精神階層の住人(肉体を持たない存在)』がいたとして、地上にいる受者に『あなたには世界を、地球を救う重大な使命があるのです』などとメッセージを送っているとしたら、、それはけして悪意のある行為ではないのですが、それを受けたチャネラーの考え方にかなりの勘違いによる影響が起こるでしょうし、その方が流した情報【彼にとっては真実】が多くの人の混乱を招いてしまうことになりますよね。
また、最近あった宇宙エネルギーが地球を覆う? そのときに「皆で祈りを捧げましょう」のお祭り騒ぎ。
なんでもかんでも『100万倍』になると。。。それを信じて祈ることがどんなことなのか、疑問を持った人はどれくらいいたでしょう?
その祈りのパワーはドコに吸収されたのでしょうねぇ?
しかし、大きく見ればそうした【何者かに踊らされる行為】も人類を進化させるためのひとつの手段としての側面もあるのかもしれませんね。
知らない方はいないと思いますが、一応チラッとだけ書いておきます(100万倍のお祭り記事)
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2006年10月17日に宇宙的な誘因事象が発生。
これより2013年までの間、引き金となる出来事が続きます。
そして、これこそがその最初となります。
第二宇宙の高次元からの紫外線パルスビームがこの日地球軌道と交差します。
地球は地球時間でおよそ17時間の間この紫外線ビームに曝されます。
このビームはハートチャクラと共鳴し、青・マゼンダ色の光りを放つ性質を持ちます。この周波数帯に共鳴しますが、第一宇宙の可視光線の周波数スペクトルの範囲外にあります。
しかしながら、第二宇宙の周波数帯で働くあなたがたの魂の性質により効果を発揮するのです。
結果として思念と感情が100万倍以上に増幅されます。繰り返しますが、最低100万倍以上増幅されます。
善悪にかかわらず、またポジティヴであるかネガティヴであるかに関係なく、すべての思考、感情、意図、意思が百万倍の強度に増幅されます。
ミッション1017では百万人のみなさんに、今ここにある地球、人類、そしてあなたがた自身に対し、ポジティヴで、優しく、善良な思考に集中するよう求めるものです。
どのような思考か、その性格はあなたがたの選択に任せますが、どのような思考であれ、それが現実化するのは期待するよりも速くなります。ほとんど奇跡といえるほどのことが起こるケースが出てきます。
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これに参加した方で、【100万倍の奇跡現象】を体験したかたはぜひコメントをお願いします!
祈りとは、一般的には平和的で美しい姿ですが、『祈り』自体は本来はネガティブな恨みの想念から生まれたものだそうですね。
不安があったりすると祈る、そもそもそこに『不安』を呼ぶのだそうです。
まぁそんな話はどうでも良いのですが、この記事を書くにあたり、ある方がこの100万倍のことについて霊査した記事を先ほど偶然見つけました。
この方は私メの様な「現在の一部のスピリチュアルにもの申す」的な方ではないようですし、その能力が何なのかは知りませんが、、、
その方の記事を少し抜粋してご紹介します(ナイショですよ 笑)
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あるサイトに行くといきなり頭になにか当たるものがある。
あれ?
内容を読んでみるとまた、宇宙規模の素晴らしい企画内容です。
しかし、何か矛盾を感じます。
100万倍規模でポジティブにもネガティブにも繋がるとある・・・変。
そして一番上にロゴのようなイメージのマークがあります。
綺麗なんですが、ずっと見ていると酔ってくる。
なんとも気持ち悪いのです。
実はパソコンの前に座っていられない・・・気持ち悪い・・・寝よう。
ってな具合で昨日はそそくさと寝てしまいました。
思い出しても実は気持ち悪い。酔ってしまうのですが、
思い切って実物を思い出しながらリーディングしてみます。
マーク自体に魔術がありますね。混乱させてくる。
光の中に入っていくかのように錯覚していきます。
気持ち悪いのに、光が視えてくる不思議なのです。
しかし、何か光が暖かくない。
光は温かみも一緒に感じるんですよ。いつも言葉に出していないから伝わらないかもしれませんが、
天界の光はぬくもりも一緒に感じるんですよ。なんというか、温度があるというか。
暫く見続けると手を繋ごうと沢山の手をとり、どんどん繋いでいきます。
握手するように沢山の手が視えてくる。
そして鎖のように繋いでいく。
一人の大きな顔がみえてきます。
意識をもっと集めろという気持ちになります。
一つに集中させろと・・・
そしてその意識を口の中に入れ込んでいきます。
エネルギーを吸い取っているんですね。
これか・・・目的は。
闇のエネルギーが増えることも知らず、知らずに導かれていく・・・
闇の奴らは負だろうが正だろうがエネルギーならなんでも吸い込んでいく。
魔の世界は居るだけでエネルギーが消耗していく。
精神世界の怖い部分です。
いいと信じてします。いいことばかりを信じてしまう。
そしてそのためにエネルギーを使ってしまう。
いつも感じるが、精神世界の裏をどうして見抜く力がないんだろう?
なぜオカシイと感じないのか・・・
こういうホームページを見るたびに憤りを感じる。
そして、人間の善という心を巧みにそそのかして利用してくる。
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○また、少し前に流行して、実はインチキだったといわれているホワイトバンドを例に出してこうも書いてあります。
人は善意という言葉に心が揺れてしまう。
これを身に着けていると自分はとても善人になったような気分になれるし、人にアピールできます。
そこに自己満足してしまう。
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この100万倍の情報を最初に流したのは、自己啓発のセミナー団体らしいですが、これらの団体は人々の善意を利用して金儲けのために色々な事を考えるものです。
今回の情報も、その団体を広く認知してもらうための虚偽、宣伝に過ぎないでしょう。 との書き込みも別のところで目にしました。
これらをどう判断するかは読んだ方それぞれにお任せしますが。。。
さて、話を戻して、、予言的チャネル情報を公表公開する判断ですが、自分ひとりが思うこと(受信した)ではやはり判断するには弱いですよね。
同じような啓示を受けた人、なんだかザワザワする、しかも感じてる時期が一致する。とか
せめてそのような人が、広い範囲(サークル仲間だけでは判断出来ません)で何人もいる とか、それらの人達での話し合いなどを経てからでもよいのではないでしょうかね?
そんなことをしていたら時間が足りませんか?
今回を含めて、地震回避の祈り等も、全体的には特に大きい混乱もなかったとは思いますが、その予言された地域に住む個人レベルではどうでしょう???
近年、大津波やハリケーン被害に遭ったところで、「また起きるぞ!」の噂による集団パニックなどを考えると、『視たんだから・聴いたんだからしょうがないでしょ!』ではあまりにもお粗末ではありませんか!?
まぁしかし、、各人が公表に踏み切った背景にはイロイロな事情や様々な悩みもあったことでしょう。
そして、現在の【この地球をなんとかしたいという善意】からのものだと思います。
引き合いに出していろいろ勝手に書かせて頂いてはいますが、私メは別にそれらの人を非難するつもりはありません。
ある意味その勇気ある行動への評価も出来るでしょう。
しかし、騒ぎを起こしておいて、その後回避されましたとか、他の地方で起きた小規模地震を利用(コジツケ)して、パワーは分散されました。程度の短いコメントで外れたことを誤魔化しておきながら、次は別のことでの祈りの賛同を煽っている連中もいますね。(念のために行脚のお方ではありませんよ)
このグループはいったい何を考えているのでしょう? どこを目指しているのでしょう? なにが目的なのか私メにはサッパリわかりません。
那須や東北に降臨した神団とはいったい何者なのでしょうか?
進軍を始めた? なにゆえ軍なのですか? 誰と戦うのでしょう?
しかも、何故「ず(づ)いず(づ)いず(づ)っころばし」なの?
隋を転覆させるの? まあこのところの隋(現・中国)は経済の発展などから資源の使い方や汚染など様々な問題はあるでしょうけど。。
しかし、この”ずっころばし”は江戸時代のお茶壷道中が通るときの様子を歌った童謡である解釈が一般的ですよね。
でも、そんなことはどうでもいいですね。どうせもっともらしい薀蓄をコジツケテ語るのでしょうからね。
※先の10/24の記事と、コメント欄に新しいもの(ダンダラボッチ)を載せてありますので、参照してください。
また、チャネルに関しての問題点と言えば、自己?メッセージのようなものがあります。
「地震と祈り」でも潜在意識ということで少し触れましたが、精神階層では相念はエネルギーとなりますから、自分がこうであって欲しいとか、こんなことが起きたら困る【或いはこんな乱れた世は1度終わってしまえ等のリセット願望も】といった希望や恐れ等【負のエネルギー】の集合体ができ、そしてまたそこに意識が向くごとにどんどんエネルギーを注いでしまい、より明確なビジョンとなって、あたかも外部からの通信のようにその情報を【逆チャネル】する場合も起こり得るのではないでしょうか?
元々自分の相念から発したモノ、もしくは同じ希望や不安を持った人達の集合意識(或いは集合的無意識)だったら、客観的な評価が出来ないので、疑うことなく「やっぱりそうなんだ」と、簡単にその情報を受け入れてしまう危険性もあるでしょう。
似たようなものに、歴史的人物、偉大なる宗教者や神仏に強い憧れのある場合にも、精神階層に『その方と会ってみたい、話してみたい願望』が蓄積されて、自己?メッセージを現象化(思い込みの神懸り現象など)させてしまうこともありますし、いわゆる念力体質の人など、制約のある意識状態(固定観念や知識からの偏見等)では、心の働きが外の世界をその人の信じているように現象化する手助けをしてしまうので、本人の想いがたとえ夢物語であっても、【客観的な事実であるかのような錯覚】を起こしてしまうこともあります。
そして思い込みがどんどん強くなれば、より現象化【本人にとっては完全に現実化】してゆくのではないでしょうか?
チャネルとは、基本的にはチャネラーが作り出しているヴァイブレーションに同調してくるもので、その人の普段の生活や人となりを観察すれば、その情報源の見当もある程度つくものです。
また、チャネラー本人の不満や不安、罪悪感や慢心など、精神状態によっても当然それに対応する波動領域にチャネルすることが考えられるので、日々の自己浄化を欠かさずに自らを高めて送信側の波動をシッカリ読み取れるようになれば、より確実で安全な交信ができるのではないでしょうか。
いつも同一の意識体と交信しているのであれば判断もしやすく、その存在がいつもと違うことを発信してきた場合には、会話形式で探る(簡単な審神)こともできるでしょう。
(その存在の言葉なりを否定してみるとわかりやすいかも・・?)
そして、急に別の波動(意識体)に入れ替わり、恐怖を感じさせる様な予言・予告のようなことを送信してきたのなら、ますます慎重に判断(審神)する必要があるでしょう。
ここで大切なことは、チャネラーが愛と光に満たされた状態であれば、不調和な領域の存在にはいっさいの手出しは出来ないということ。
そしてまた【受け入れない(拒否!)】と強く思えば無理にはやってこないということも言えるでしょう。
まあしかし、現段階でどこにも傷を持たない(完全に癒されている)愛と光に満たされたヒーラーやチャネラーが存在するとは到底思えませんがね 爆
この【愛と光に満たされた】という言葉をやたら連発してあるサイト等はけっこう多いですが、言ってる人ほど傷を抱えている様ですヨ。
(しかも言葉の使用頻度に比例してその傷も大きかったりもしますね。。。笑)
先にも慢心と書きましたが、ある程度進歩した(自己満足?)チャネラーの場合に陥りやすい注意点として、自分は特別等、【自己顕示欲や傲慢な波動】を持てば、おのずと【危険な領域に自ら近づく】ことになり、人間を惑わそうとしている良からぬ存在や、地上に近い波動領域をウロウロしてるヒマな霊体からしてみれば、格好の寄り代(台)になってしまうでしょう。
そして、最近の一連の地震騒ぎや100万倍の祈りなども、これらの人を惑わそうとしている良からぬ存在やヒマな騒霊からのものでない保証はありますか? 謎笑
また、その存在が、受者本人にしかわからないことを知っていたとしても、幽体のオーラから読み取ったり、アーカシックレコードの領域から拾ってくることもあるので、それだからといって、送ってきたメッセージのすべてを・・・ アクセスしてきた存在自体を・・・、 すぐに善だと判断することにも注意が必要でしょう。
そしてまた、高い階層から重苦しい領域にわざわざ何かを伝えに降りてくる進化した存在でも、地上から要求する質問には、なんでもホイホイ応じるということでもありません。
(なんでもかんでもお伺いをたてて、これはこうですと答えてるサイトもありますが、何にでも答えがもらえるなど【あり得ない】ことです。特に多いのが個人的な恋愛問題だったり 爆)
通信に必要な情報をあらかじめひとつの相念の集合体のようにして、媒体となるチャネラーの圏内に持ち込むような方法をとる存在からのチャネルの場合によく見受けられる現象として、あらかじめ用意していない不意な質問に対する的確な答えが出せない、或いはシドロモドロになる等もあるようです。
そうなると、それらの事情を理解していない人は、送信側の質が悪いとか、低いとかの判断をしがちの様ですが、上記の通り、そうとばかりも言えないこともありますので、その良否の判断は、やはり数をこなし、いろいろな経験、またはそれなりの知識がないとますます難しいところでしょう。【審神者の大事】
また、チャネリングには、、現在では少ない様ですが、【フルトランス(霊媒を操作する通信)】によるチャネリングもあります。
また、このフルトランスの状態は、わかりやすく言えば【憑依憑霊現象】と同じような状態なので、懸かってくるモノによっては猟奇的な事件に発展したり、いわゆる狐憑きのような行動や、受者(霊媒体質者)の精神が耐えられなくなったり、ひどいときには【もっていかれる】現象を引き起こすこともあるようです。
しかし、憑依に関して言えば、肉体の主権は本来の持ち主にあるというのが絶対的な自然の摂理・法則ですから、本人が強い意志を持つことで、容易に追い出すこともできるのです。
が、しかし、、そのような意志があれば初めから憑依などされないわけで、やはり第三者の手を借りて除霊・浄霊などを行うことも多いかと思います。
その場合には憑依した相手(霊体)を脅すよりも、内在する神性を如何に引き出し、自分のおかれている立場を納得させ、執着から離れることを理解させる方法が得策ですね。
とは言っても、やはり憑依される側が【自ら呼び寄せ】てしまう結果何度でも出戻り憑依したり、未熟な術者の判断や行為が、より複雑怪奇な問題に発展させてしまうことも一部ではあるようです。
憑依や頼ってこられる場合には、意思の疎通ができると良いのですが、できなくともその存在に気付いてあげること、そして心からの成仏を願うこと等で通じる場合も多いのです。
というか霊媒体質者の波動(波長)が上がれば憑いていられなくなったりもしますし、本人の向上心によって守護・指導の様な背後霊団等の協力を得られることもあります。
このようなことがわかれば、いわゆる似非宗教、トンデモ拝み屋などの霊感商法に引っ掛かることも防げますが、加持祈祷や祓いの作法では、施術者が【光の存在】(笑)であるならば浄化成仏も可能、という側面もあります。
しかし、どの場合でも憑依された本人が向上する気持ちを持たず、また自覚もなければ一時的には離れるけれど、同じような憑依が現象として繰り返されることにもなります。
(しつこく言いますが、自分でその領域にアクセスして呼び込んでいますので、何をどうしようと結果的には無駄になります)
※ 憑依とは、肉体を持たない霊が地上との関わりを持てる唯一の手段ですから、肉体がなければ果たすことの出来ない欲望を満たそうとしたり、何らかの表現をしようと機会を狙っている霊が霊媒体質者の意志とは無関係に、場合によってはフルトランスの状態を作り出すものですが、原則として、霊媒がその領域に意識を向けないかぎり近づいてはきません。
ですから、霊媒体質者はできるだけ危うきに近づかず、波動を下げずに明るくおおらかにいることが大切であり、また必要なことでしょう。
その辺で拾ってしまう程度の憑依ではフルトランスなどはほとんど起こりませんからそれほど気にすることはありませんが、霊に脅されるなどの恐怖体験は、ある意味トランス状態に近いものでもありますので注意が必要です。(心霊による恐怖体験は波長の法則であり、その本人に原因があることが多いです)
ひと昔前までは、このトランス状態でのチャネリング(御神託)が主流だったようですが、危険が伴なうので、必ず【審神者】が同席していました。
時代や地域によっては批判的な意見も多く、またキリスト教会では、神託を受ける霊媒と、審神者となる聖職者が役割分担をしてきた歴史もあったのですが、聖職者が権力をにぎるために霊媒が邪魔になり、排除したうえに『メッセージを受けることは罪である』みたいに【聖書に書き加えた】結果、悪名高い魔女裁判や、魔女狩りなどという悲しい歴史もありました。
※ この「魔女」という言葉は、後世になって卑しめられる目的でつけられた言葉ですが、もとは、聖なる神事にたずさわる「女性神職者」で、その多くは、ケルト系の巫女であったとされていますが、のちにヨーロッパで発布されたサリカ法典(原型は6世紀初頭成立)などにより、正式に「巫女」がヨーロッパ社会で禁止されると、彼女たちは『魔女』として社会的に葬り去られるようになったそうです。
最近では、チャネラーの幽体のオーラに、必要な情報を波動で印象付ける より単純で安全な方法が主流になっているようです。
これなども人々の意識の向上・進化によるところが影響しているのかもしれませんね。
この場合、送信側と受信側がより近い(ほぼ同じ)波動領域にいる場合が多く、それ以外では送者が受者の領域まで降りてきたり、通信の仲介者が、異なる領域間の伝達をする場合もあるようです。
また、潜在的にチャネルした場合には顕在意識に乗りやすい状態になったときに、頭の中にその情報が映像なり言葉として浮かぶ(ヒラメキ等も含む)ことがありますので、全ての人にその資質はあるのです。
(なぜ、こう書いたかを言えば、チャネラーだけが特別な存在ではないと言うこと。チャネラーの言葉を鵜呑みにせずに個々人が判断をすることが大事だからです!最近の流れを観ると、地に足つけてと言いながら、浮き足立って【ウワサ程度の情報】に流され踊らされている人が目立ちます)
さらに幽体が発達してくると、顕在意識としてはたらいている波動領域での受信ができるようになり、より明確なビジョンや言葉として受け取れるようになるようですが、フルトランスのとき以上に【受信者の主観が入り込みやすい】という難点もあります。
この場合には、予備知識がある場合とまったくない場合では、人それぞれの違いはありますが、神主・巫女(受者)と審神者の関係を考えればどちらが良いかはわかりますね? 笑
この場合のチャネリングでは肉体に危険を及ぼすことはまずないと言ってよいでしょうが、もう一度言っておきますが、受者の解釈や主観が反映されやすいので、その判断にはより注意が必要です。 (即ち 【愛と光】、不調和な波動を持たないようにすることがより良いチャネルをすることに繋がるということですね。 笑)
このように、注意点としては、チャネラーが善意でも、潜在的にもつ【理解力や固定観念】、ものの考え方によって【通信の内容が脚色されて変わってしまう】ことが上げられます。
一部の情報によれば、
原初の人類には、皆が天変地異などを知覚する能力が備わっていて、現在のフォトンベルトのエネルギーがこの遺伝子に働きかけ、元のあるべき姿に戻そうと作用しているという話もあるようです。
様々な変化が始まり、光のエネルギーが流入し始めたため(?)、一見すると天変地異の予兆とも思える様な地震や水害等の自然災害が増えていますが、それらの変化は我々人類に、【地球の上で暮らしているという当たり前過ぎる事を自覚させる為】に起っているとも言われていますね。
また、最近特に大型化する台風が多いのは、振動数の上昇により水分が蒸発しやすくなっているからで、けして温暖化などのせいばかりではないとも言われている様です。
地殻の変動も、より深いところから地上へと。。。しかしそれも外からのエネルギー干渉によるものだそうです。(一部の情報によれば・・ですがね 謎笑)
しかし、日本では自然現象としての地震は毎日必ずどこかで起きていて、震度が3〜4程度のユレも約3ヶ月おきくらいの割合で発生します。
その全てが神からの警告や何かの霊的な意味のある現象なのでしょうか?
ネットやメディアの発達したこの情報化社会、溢れる情報の中からどれを拾うかはそれこそ人間(個)の自由意志です。 そして、その情報をどう扱うかも・・・
その情報に、なにか感じるものがあったら一度立ち止まって感じてみて下さい。そして今の自分が【スーッと腑に落ちる】かをじっくり味わってみることです。
垂れ流し状態の様々な情報に、ただ踊らされることのないように、個々人が自身の感性を総動員して判断し行動に移していただけるよう希望します。
(踊らされること自体も個々人にとっては学びのために必要なことだったりしますが・・・)
人は元々神のワケミタマと言われているように、 どんな人でも大元に繋がっているのですから、ちょっとしたシンクロ現象など当たり前の出来事です。
それらに振り回されずに、その奥にあるものをじっくりと味わって1歩1歩確実に歩んでいただきたいと思います。
現在の地震や大災害云々や、○月○日に何かにフォーカスして皆で一斉に祈りを奉げる行為をやめろとは言いませんし、その全てが似非だとは言いませんが、結局はこの様なイベントは【自分だけは良いほうに行きたい】という人たち、お役目やら特別な何かを与えられたと意識している100匹目以内のオサルさん根性の持ち主達の【我こそは特別な存在ナリ】な自己満足で終わってはならないのですよ!
と、、ちょいと厳しい言葉を添えておきましょう。
ここまで長々と書いてきましたけど、いわれてみればわかりきったことだと思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、人はやはり楽しいほうに流されやすいもの。
わかっちゃいるんだけど、、、どこか片隅に追いやっていたり、見過ごしたり、あるいはわざと見ないようにしてる(見たくない)部分でもあったりすることなのかもしれません。
そして、自分は間違ってないと思う(思いたい)方も当然いることでしょう。
私メの言うことが正しいわけではありません。
しかし、改めてこんな意見もあるんだと知れば、皆さんも何か思い当たることがあるかもしれませんよね。
アセンションも、過去の様々な予言の様に、過ぎてみれば『なんだったの?』のブームで終わってしまうことなのかもしれません。
しかし、何か変化が起こるんだと多くの文献等の一致があるのなら、やはり何らかの変化があるものと考えられますよね。
しかし、お祭り騒ぎの様なブームになってしまって、本質が見えなくなっている方や、わかったような気になっているだけで、本当は最初からよくわかっていない方も多いように感じます。
また、ブームに便乗してるトンデモとか、イベントを立ち上げるだけの愉快犯みたいな方も居るように感じます。
何も起こらないより起こったほうが楽しいし、夢があるなんて考え方があっても良いかもしれません。
しかし、その流れの行き着く先はどこなんでしょう?
このブームに賛同しなければ、、祈りのイベントに参加しなければ、、
またはこんなつまらない疑問を投げかけたら仲間ハズレにされるなんてことはないでしょうけど、日本が戦争に負けるなど言おうものなら非国民の扱いを受けた時代とどこか似た感じはないでしょうか?(念のため、私メはその時代は知りませんけど。。)
そして、本当にその決められた日でなければ意味のない祈りがあるのでしょうか?
あるとしたらそれは何故ですか?
私メが祈りのお願いをするのなら、
『人知れず世のため他人のために【毎日5分の祈り】でもいいから捧げて下さい』
とお願いしますね。
最後に1つ
尊い祈り行脚をしておられる方について書きました。そして災害鎮静やその他の祈りのことなどいろいろなことをわざと【大袈裟】にあれこれ書いています。
誤解をしていただきたくないのは、私メはスピリチュアル否定派ではありませんし、皆さんに何でも疑ってかかれと言っているわけでもないこと、そして悪戯に各情報(または発信源)を批判するのが目的ではないということです。(まあ、そうとられてもかまいませんがね 笑)
そして、祈りに関しては、行脚の方はこう言っておられます。
『大きなエネルギーを祈りの力で封じれば、それは蓄積してやがてより大きな力が一度に開放されることにつながります。ですから、地震を止めてください。というようなお祈りはしないで、大きなエネルギーを少しずつ、散らして開放してください。 または、どうしても避けられないのであれば、人的被害を少なくしてください。という風に祈っている』
ですから、祈りに参加される方は、シッカリこれを憶えておく必要があるでしょう。
(するもしないも選択の自由です)
また、『私のように役目を持たされた者の力だけでは、もうどうにもならない。だからたくさんの方々の真心からの祈りをお願いしたいんです』 と言ってるそうです。。。
(するもしないも選択の自由です ←しつこい^^;)
(すでに参加されている方々はわかってることでしょうけど、言いたい放題好き勝手に書いてしまったので、ちょこっと付け加えさせていただきます)
そして、勝手に引用したり、引き合いに出してあれこれ書きましたことをここにお詫び致します。
長々とくだらない記事を書きましたが、、、
趣味なり、お役目なり、、キッカケはどうあれ、スピリチュアルを歩んでいる善意に満ちた方々には取捨選択の自由と行動ということを自己責任において考えていただきたい。
これが今回私メが言いたかったことなのです。 たぶん(笑)
くだらない長文にお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m




