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スピリチュアル/ 選択の自由のススメ

以前書いた記事に少し手を加えて再度掲載しています(長いです^^)

つらつらと原稿を書いているうちに、なんとなく思いがまとまりかけてきましたので、後からタイトルをコレに変えてみました。(変だけど 笑)

またくだらない戯言ですが、どこか1行でも心に残ることがあればそこから広げて、貴方なりに考えを巡らせてみていただければ幸いです。


では、ど〜ぞ

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スピリチュアル系のサイトやブログ等を読むと、とても爽やかなものを感じたり、また逆に開いた瞬間からドロドロ〜っとした感じがしたりもしますね。

ハイ 人によってはココもドロドロ系かもしれませんネェ〜  爆


それぞれの方の霊的世界?の探求等、歩んでる道を『スピリチュアル』という言葉でヒトククリにできるほど単純なものではないのですが、それぞれが『スピリチュアル』と枠付けして書いてあるので、このブログでもそうしていますが、そもそも皆さんにとってのスピリチュアルって何でしょうね?


とりあえずそんなわけで(←どんなわけだ・・・?)、話を進めますが、、
ドロドロに関しては、やはり「良くない」と判断して間違いないとは思いますが、「ピキーン!(笑)」っていう強い気の場合には個々に合う合わないの違いもありますので、良いのか悪いのかの判断に迷うことも多いのではないでしょうか?(悪いという言い方自体もアレですがね)


普段神社の様な場で、ピ〜ンと張り詰めた氣を感じるということは少ないでしょうが、、天地を結ぶ氣(皆さんの言う光の柱でしょうか?)や、場を包み込む様な氣(雰囲氣)、そして、、、
ソコに1っ歩足を踏み入れたときに、まるでズッシ〜ンと雷に打たれたかの様な、、特定の人だけを貫く様な重く鋭い氣もありますね。

(余談ですが、神の漢字は示して申すではなくて、稲光(神成)で示すという象形文字が発祥です。 神が申すを表すと、曰や音の文字になりますので、門の中で神の言の葉を聞けば闇となりますね 笑)


話を戻して、、

これらの氣を判断するときにはソノ時々の感じ方や本人の思い入れなどもあり、また、温かい・爽やか・清々しい・冷たい・寒い・刺激があるなどの感覚的な良否が同時にあると思いますので、人それぞれの感じ方で良いと思います(何でも経験が大事ですしね)

しかし、イヤ〜ナ感じが伴うときにはやはり(そのトキの自分には合わない場合も含めて)近づかない方が身のためと言うこともありますね。

(ピリピリするような刺激や頭痛などの痛みに関しては、良否の両方がありますが、寒いわけでもないのに、身体にブルブルと小刻みな振るえが来る場合は邪気と考えてほぼ間違いないでしょう。。ブルブルと言うよりプルプルって感じかな 笑)


そして、私メ ココで書いたかどうか忘れましたが、神社にはできるだけ朝の氣に入れ替わった後〜午後の3時までに参拝した方が良いです。
これは、いろいろな方が言ってることなのですが、あるブログには、時間の概念があるのは3次元に生きる人間だけなので、神様は24時間いつきてもいいと言ってるようなことが書いてありました。

まあ、確かにそれも一理あるのですが、果たして誰にでも通用することなのでしょうか?

『神様』が言うなら本当かもしれません。。
しかし、私メも『神様』から【寅の刻】を過ぎると陰の氣が満ちてくるので、出来るだけそれまでに済ませるようにと言われています。

※私メは朝の氣=雀の鳴き声等の合図〜午後3時までを参拝時刻としてお薦めしております。
(昔から朝を告げるのはニワトリと相場が決っていますが、最近は神社近辺にはなかなかいませんからねぇ〜 笑)

上に書いた寅の刻というのは、正式な時刻(=午後3時)を表したものではありません。

昔は子(ネ)の刻を23時〜1時(正刻0時)として、2時間おきに干支を用いて時刻を表していますので、本来なら寅は午前4時(正刻)頃となります。

この「頃」というのがミソで、昔は日の出日の入りを基準にしていたりもしますので、当然季節によっても変ってしまいますし、城内や公的機関と一般庶民では別の計算方法を使っていたらしいお話も残っています。
(時刻の出し方、数え方は別記事の月がでたでたをご覧ください)


【月がでたでた】の記事中から、私メが午後3時を『寅』と呼ぶようになった経緯を抜粋して追記しておきます。。

この【神社参拝は寅の刻まで・・】というのは、背後のあるお方から言われたことなんですが、意味としては、「通常の神社参拝は、午後3時までに切り上げよ」ということなんですよ。
となると、本来の時刻の呼び方では【未の刻ハつ(おやつ)から昼七つの申の刻】となりますね。


では、私メの背後はウソをついたのでしょうか?

・・・そうではなく、私メ『寅の刻まで』といわれたときに、
「あぁ・・ 午後3時までだね」と・・・  笑


私メの中では、勝手に方位に例えた位置として「寅までね」と解釈をしたのです  笑
時刻を表す昔の単位をそのようにうろ覚え(じつは勘違い)していたので、急遽時刻の制限を伝えるために寅と表現したものらしいです。(釘を刺しておかないと無鉄砲なので? 汗)

こう言えばこの子にはスグにわかるハズだ。。とね  あはは。。


実際アチラ側にとっては時間などそれほど重要なことではないですが、コチラに生を受けたものにとっては、注意すべきもあるのです。

また、交信(通信?)に関しても、伝えることが目的の場合には、相手(受け手)がわかりやすい方法で伝えるということですね。
しかし、自分で学び感得しなければならないことや、今知らなくて良いことは【聞いても教えてくれるものではありません】よ。
(成長を止める行為だからでしょうね)



もちろんソレナリの用事があるときや、どうしても時間的に無理な場合は別で、それなりのサポートもありますが、基本的には神や守護といえど手出しはしません。(守護の霊は身を守る核シェルターではありません)

※祭りや神事に参加の場合は当然別ですよ。


ではいったいどちらのカミサマの言うことが正しいのでしょうか?
答えは『両方』でしょうね  笑

しかし、一般向けかどうかは別です!
そして、どちらの説を取るかも貴方次第です!


そのサイトでは憑依体質者のことを取り上げて、「そのような人には危険はあるかもしれないが、影響を受ける憑依体質者はそうそういるわけではない」みたいに書いてありましたが、

『24時間いつ来ても良い』 『アチラの世界では時間の概念は無い』 確かにそうです。

しかし、神が人間に何かを伝えるということであれば、コチラの世界、対象となる人間の生活に照らし合わせたことを言うのが筋ではないでしょうか?
まあ、おそらくこの方はそれら陰の氣に影響されない相当出来たお方なので、神にそう言われたのかもしれませんね。
(誰が行ってもOKと書いているのはアウトですよ)


私メは、「寅の刻」のことを聞く前の経験上から、やはり行くべきでない時間帯があることを体感しています。
それを一番感じたのが鹿○神宮の鹿苑から先の場です。

しかし、先ほどのブログには、ココの神職の言葉として、時間外参拝のことを大笑いして「夕方の神社もオツだよ」と言っていたと書いてありました。
お〜い、、途中の右に折れる細いわき道の奥に行ってごら〜ん。。。なにが出るかな???  爆
(然るべき処にお帰りいただいたからもういないと思うけど、違うヤツがいるかも・・謎笑)


それはどうでも良いのですが、、一番の問題なのが【神社には何をしに行くのか?】 なのでありますね。

私メ、僧籍に入る前は毎年正月には、富士宮の浅間大社〜富士山を1周していまして、元旦の夜に浅間大社の砂利の駐車場で車中泊をしたこともありますが、灯りに照らされた朱塗りの社殿や拝殿などとてもきれいで、しかも正月にして誰も居ないその場を独り占めした善き想い出もあります。
(因みに2日にいただけるつきたて餅はうまいぞ〜♪)

そんなライトアップされた景観を楽しみたいとか、家路への近道や散歩なら別ですが、何か目的があるから参拝に行くということであればなにゆえ夜なの? ですよね。
(言葉の収まりがいいので夜と書きます)

静かな夜に思う存分神様と繋がるために行くのでしょうか?
誰にも邪魔をされずにゆっくりと気の済むまで参拝したい気持ちはわかりますが、神様は神社に常駐してるわけではありませんよ。

肝試しでもないのにわざわざその時間帯を選んで参拝に行く、その方なりの、夜でなくてはならない大事な大事な目的があるのでしょうか?


この、時間帯に関することは、神社に限らず寺院や聖地にも言えることだと思いますが、確かに慣れということもありますね。
私メが先達をしてる霊山では丑三つ時であろうと山に登ったこともあります。
かなり陰の氣に満ち、粘り気のあるような重い雰囲気はあるものの、特に気になることもなかったりもしたのですが、ある霊的能力者に言わせると、ソコに壁があるかのように山道(参道)入り口から先には進めないそうです。

モチロン私メはソレナリの精神状態にスイッチを入れ、不動真言なんぞを唱えたりもしながら登るわけですから、自己暗示やら信じるモノに救われる的な相乗効果もあるのでしょう。

しかし、霊山は聖地ではありますが、誰もがソレをしたからと言っても行場という意味では万人向けではありませんのでご注意を!


そんな私メもこの霊山の中でもヤバイと感じる場もありますが、なぜ、そのときの私メは普通に登れたのでしょう?
答えはそこの氣自体に馴染んでいたからで、今だったらおそらく夜中に登ることはできないでしょうね。(登る気がしないということもありますが・・)

場の氣に馴染むということで考えれば先にオハナシした宮司さんの意見もソレですね。


場の雰囲気をどのように解釈するかは、それぞれの自由で良いと思いますが、私メの意見としては、お祭りや日没後の御神事(祭祀)などに参列する場合などは別にして、普通に個人で参拝にいくときには避けるべき時間帯があることに気をつけていただいた方が良いと思います。

(古来神社では、特別なお祭りはどこでも夜間(子の刻から開始が多いかな)に行われていましたが、特別なマツリを除いて明治以降はだいたい昼間に行うようになっています)


まあしかし、これだけは言っておきますけど、神社やお寺(特に神社)は、管理された場所でもありますよ。
日ごろから無人の小さい宮や自治会館が隣接した地域のコミュニティの場であっても、夜中にいってナニヤラ怪しい行動をするのは常識から言ってもどうかと思いますし、管理側からしたら迷惑な話ですよ!

たとえ貴方がソコを開かれた場に感じているとしても時間外には(決った時間帯がなくても)不法侵入者的に見られても仕方ないことでしょうね。

(わざわざ夜に出かける方は、凡そ何かしら霊的ななチカラを欲してる場合が多いのですが、闇夜のカラスは・・・・・どうなんでしょうかねぇ。。。)


※紛らわしくなるといけませんので、時刻のこと少し説明しておきましょう。

本来、寅の刻というと午前4時頃のことですから、正確にいうなら未〜申の間には参拝を終えるようにとのことです。

私メはこの江戸時代の2時間ずつの区切りや、ナンドキというそのトキが現在の何時を示すのかを知らなかったので、その場(神社の境内)で、背後の存在から急遽時刻を知らせるためにわかり易い説明をしていただいたのです。

(ピタリその時間ということではありませんが、私メには、時刻よりも方位的な位置で考える方がわかりやすかったということです)

その後はこの寅で通じていますので、この表記をしています。
なので、現代時刻で言うと、神社の参拝は午後3時までには終えるよう心がけると良いということになります。

(これは、身に受けた聖地の御神氣をそのまま維持するためですから、枯れても良い方はこの限りではございませんのことよ おほほ♪)




私メ、ライトワークと言う物が何であるのかわかりませんが、よく聞くところの【光の柱を立てる】と言われることなのでしょうか?

また、それを【御神事・神業】とか呼ぶそうですが、一般の主婦が、『今日は○○神社で御神事をして神様を起こしました』 または『光の柱を立ててきました』などとブログ等に書いてあるのを読んだりして、最初は何事かと思いましたヨ。

しかし、何人もの方がこの【御神事】をされているであろう有名神社に於いて、いや〜な感じを受けたり、なにも無いように感じることがあるのは何故でしょうか?

私メの感じ方に問題があるのかもしれませんが、皆さんはそんな経験はないですか?


この御神事、観える観えないは別にして、イメージワーク(そんなつもり)として行っているものと推測致しますが、納得できる説明がされてるところがあれば教えていただきたいです。
また、それぞれが勝手にいろいろとやってることの意味を、一度考えてみていただきたいと思います。

確かに、ソレが出来る人はいるのでしょう。しかしそれほど多くはいませんよね?
それどころか、本人は出来るつもりになっているけど、逆にグチャグチャにして廻ってるなんてことはないのでしょうかね?



さて、ハナシを戻して、

「今日はこんなことがありました〜」っていうのは良いとしても、大災害等ある種の恐怖感を植付けたり、祈りのイベントなどに賛同者を募り、、しかもそこに覆い被せるようにナンタラ神示を自己解釈したような自論を展開して自分の領域に引き込もうとする書き込みやコメント等も多くみられます。(持論の展開では私メひとのことはいえませんね 笑)

誰のどれが真実かは私メにはわかりませんが、中にはまるで夢物語りの様なものもあれば、終末的予言などに右往左往してるような方も見かけますね。

ノストラダムスの予言したとされる年が無事に過ぎれば、『解釈が違ってた』とか『今度はコレ』とばかりに、いろいろ引き合いに出しては同じ騒ぎが毎度繰り返されています。
世間(ごく一部でしょうけど)を騒がせた地震や噴火が起こるとされていた日も大難なく何度も無事に過ぎています。

このままでは、ああなるこうなると様々な恐怖感を植付けては逆にある種の希望を持たせるのは【似非宗教】のやり方そのままですね。

そう、スピラーの皆さんが嫌っているはずの宗教ってヤツですよ!

まるで、あっちの水は苦くて、こっちの水は甘い、、、蛍狩りの歌みたいですね。
そしてそこに集う方たちは集められた蛍の様です。
(もっともホタルも【光の存在】ですから、それをヨシとしてしまうのでしょう 爆)

私メに予言させていただけるなら、何かのコジツケをしながらソノ終末はおそらく暦のひとまわり(12年)程度ずつ引き伸ばされて語られ、そのうち飽きてはなれる人もいますが、世代交代しながら、ソノ日が来るまで語り継がれることでしょう。 笑



そして、最近の流行?に【○月○日はこういう日ですから、皆で祈りを合わせましょう】というイベントが数々行われていますね。
どうも一連の『一緒に祈りましょう』騒ぎは、各グループの『信者勧誘の運動』の様に見えてしまうんですけど、私メの目や魂が曇っているからなのでしょうか???

いえね、本当にソノ祈りによって毎回未曾有の大災害が回避されているとかなら、、、そして、それが証明できるのなら私メは何も言いませんヨ! ええ そうですとも。。



精神世界の中のある階層には地上に起こる前の出来事がすでに表現されているとも言われています。
これは、人間の自由意思・想念等によって変化もすることでしょうし、精神階層には地上のような距離や時間はないので、反映されるのも地上の時間の流れとは異なりますので日時を指定した予言は、当たる確率はかなり低くなります。 っていうかほとんど当たりません。

もしも神様?が日時を指定したのなら聞いた方にとってはそれは真実でしょう。。。
そして、何事か事象が起こったあとでは『分散されて、ドコソコで起きた規模の小さい地震で済みました』などなど、何とでもコジツケることもできますね  笑


もっとも人間の自由意思によって変化するということもあるので、心からの祈りが災害の回避・鎮静になるというこもモチロン有り得るでしょう。

しかし、大勢の意識が、祈りの前提として、、
『大地震が来るんだ。大災害が起こるんだ』の思いを持ってしまうのはどうなんでしょうねぇ? 
それ自体が我々の選んだ自由意思には成り得ないのでしょうか?

あとから、『それは嫌なので、起こらないで欲しいのです』と否定したところで・・・
祈りの大前提にあるのは【起こる】コトを回避または鎮静化させたいということでしょう?

潜在意識や集合的無意識はときとして在らぬ方向に働き、在らぬ事象を引き起こすことがあります。

そう考えてみると、分散されたのではなく、逆にその分散されたと云われる小規模な
【地震を起こす元】となってしまうことは絶対に無いと言えないでしょう。

いえ、なにも脅かそうというのではありませんよ。(ちょっと屁理屈なだけです 爆)


私メには能力がありませんから言えることなんですが、実態のないものに対しては、考え方次第ではそうとも思えてしまうってだけのことなんですよ。
しかも、心の片隅に、(無意識にも)恐怖感があれば、おのずと祈りにも【ご利益信仰】の気持ちが顕れてしまいませんか?

本来は、『どうか地震や噴火が起きませんように・・・』の祈りを捧げることよりも、人類が間違った生き方をしないことが一番ですよね!
わかっちゃいるけど、現状を見れば・・・  トホホですね。(よーくわかります)



率先して祈り行脚を行っているあるお方は、事象は浄化のために起こることなので、それを【止める】のではなく、【より被害が少なく済むように】祈るのだと言っておられるようですね。
そして、それをすることが自分に与えられた『お役目』だと・・・

よくスピ系のところを覗きにいくと、この【お役目】という言葉を見かけます。

そして、前にも書きましたが、「光の戦士や虹の戦士」 
お仕置きしてして〜!なんちゃって.。o○  ココまでくると漫画かよ!って気もしますが。。。

この【戦士】ってなんですか?


例えば、『人よ。神との縁、自ら求め、この立て替え立て直しのお役に立てよ』
『気づきある者、人を救えよ。』(ちょっと拾ってきました 笑)

貴方が、こんなお言葉をどこからか受信したらどう感じるでしょう?

人はそれぞれ「お役目」をもって生まれてきます。 なので、お役目のない方などこの世には存在しないはずです。
その、それぞれのお役目がなんであるのかをわかった上で、お役目部隊の地球防衛軍を結成するなら、「ど〜ぞお頑張りください」と、私メは応援いたします。。


しかし、よく目にするところの【お役目】と書いている方の中には、それって今貴方が感じてる興味や生きがいみたいなものじゃん? みたいに思ってしまうことも多いのです。

【正義のお役目】があると思うことで、【他人より優位】であると【自己満足】してる方も多く見かけますが、、『げんきですかー?』と聞いてみたい  笑


確かに人を導き、人類を、、また、地球を救うお役目のある方がいるとは私メも思っていますヨ。
しかし 現在あちらこちらでの発言を見ると【???】と感じることが多々ありますが、貴方もそう感じることはあるでしょ?

ひとは、誰かに(相手が神でも人でも)必要とされることで、生き甲斐や安心感が得られたりするものです。
そしてなにか目標を持つということも大切なことであり、また単調な日常に潤いを齎し、日々を楽しく過ごす意味でも必要なことだと思います。


最近はスピリチュアルがブームでもありますが、地球や人類を救うなどの話になると、一般社会では普通はなかなか会話にならないものです。

そこで気の合う仲間が集い、非日常の会話に花を咲かせるわけですが、その楽しいはずの集まりにも注意が必要だと思います。
いや、、楽しいはずの集まりだからこその注意が必要と言い換えた方が良いかもしれませんね。


また、よく目にする言葉に『私はその(お役目の)ために生まれてきたのだ』というのがありますね。。。

実は、私メもそのひとりなんですよ!
そのためにわざわざこの時代に世界のひな型であるニッポンに転生してきたのです!
こんなことを書いてるのもそのための働きなんです!
(わらってるでしょ? ウソかマコトか言うのはタダですから〜 笑)


まあ しかし、、冗談抜きでこんな私メにもその感覚はわかるんですよ。
もしかすると、こんなこと書いてる自体が、本当にそこに直結する私メのお役目だったりするのかもしれませんヨ  爆



お役目を与えられた前出の祈り行脚のお方は、この前の北海道の竜巻の日に、身体の不調かなにかで祈りを怠ってしまったのだそうです。
そして、、その結果として、、9人もの尊い命が奪われてしまったとか。。。

こんなことを書く自体、単なるスピ記事に引き合いに出されること自体、犠牲となられた方には失礼な話ですが、あえて書かせていただきます。そして心からご冥福をお祈り申し上げます。  【合掌】

亡くなられた方々は、不特定多数の人類に対する【見せしめ】で犠牲になられたのでしょうか?
だったら、そのお役目ってのはなんなんですか?
しかも、それだけスゴイ選ばれたお方なのかもしれませんが、たったひとりが祈りを怠ったからといって見せしめの様に9人もの尊い命を持っていってしまう神ってナニ?
とは思わないですか???

また、このお方はその神に、『役目を忘れたか? 神事を怠った罪を知れ』 とも言われたそうです。

この神のお言葉がどういう意味を持つのか?(大いなる意味が含まれているのか? そのままストレートにとっていいのか?)
この言葉の主が『ナニモノ』なのか、私メには知る由もないですけど、なぜ?・・なぜ?・・なぜ?・・しか言葉がありませんヨ。


また、、そうしなければ(災害を起こさないと)民は【神の存在】に気付かぬから・・・
などと書いてある啓示サイトも見受けられます。
いったいどの口がそんなことを言わせるのでしょうかね?


雷神と言えば菅公の例にあるとおり、恐ろしい祟り神としても有名ですね。
しかし、稲妻は稲に命を吹き込むように豊穣の神の働きでもあります。
このように太古からの日本人と神の付き合い方、祭り方の特徴でもあるヤオヨロズ思想(アニミズム)には祟りや災害を起こす様な神の働きも含まれて居ます。

そんな話は今はどうでも良いですね。
この竜巻の一件を見ても、お役目を担って尊い祈りの行脚をしているにせよ、考え方(受け取り方)が違ってやしませんか?
 
お役目と思うこと自体もそうかもしれませんが、そこに慢心はありませんか? などとやはりソコに疑問をもってしまうのですよ。。
(この方には、毎回オレが回避してやってるんだ。などの思いはないと思いますが・・)


まぁ、しかし、どんな思いを持つかは人それぞれで良いのです。
でもね、、神やある種の存在に言われたから自分にはお役目があるのだとか大袈裟に考えて、「やらねばやらねば」と自分を追い込むこともないし、ことが起こったからといって自分を責める必要もないのですよ!

そして、やるもやらぬもそれぞれの自由意志です。
お役目を与えるのと同時に、(このお方にも一般人と同様)自由意志も与えられているのではないでしょうか?

『役目を怠った罪を知れ!』 とはナニゴトですか!!!???
確かに『やる!』と宣言をした以上厳しいことはわかります。

しかし、ナンタラ神示しかり、このお方の神しかり、、私メにはなんかしっくりこないんですよ。
厳格が故に他の神に幽閉されてしまった金神だからでしょうか?

このお方とて肉体を持って生まれてきているのです。
いくら神の手足を自負しているのだとしても、修行の身でしょ?
こう言っちゃなんだけど、神様ってのはわからずやのヤクザの親分みたいなモノ?

って言うか、やっぱり役目を怠ったからって他の人の尊い命を奪い取る神なんてのは私メには理解できないんですよ。

神であるなら、起こった事象を喩えに、このお方に「サボらないように」と言うことの方便だとは思いますけど、本当に神の仕業で人の命を取ったと言うのなら「それはちょっと違うでしょー!」とその神に直訴したいところです!


もし本当に、祈りを怠ったことが命を取るに値する罪であり、取らねばならぬなら、どんなにお役目を与えるに値する凄い人だとしても、怠った本人を取るのが道理というものです!

自分の子供はかわいいけど、他人の子供はどうなってもいいなんてのは人間としても、まして神を名乗るのであるならば相当問題アリなんじゃないですか?


昔々の生贄ってのは人間の間違った考え方ではなく、本当に神が要求していたのでしょうか?
だとしたらなんだかなぁ〜としか思えませんね。

こんなこと言ったらその神とやらは私メを取りに来ますか?
だったらそれも良いでしょう!

ど〜ぞ、、っと首を長くしてお待ちしていますヨ(^o^)丿



現在、様々な情報が溢れています。 その中から何を選ぶのかは個々の皆さんの自由です。
祈りのイベントに参加しましょうと誘われたからただなんとなく祈るとか、面白そうだからとお祭り騒ぎに便乗するのではなく、自分の感覚で見極めて真心から祈ってくだされば良いのだと思います。

しかし、、祈りとは個々人が自由にできることで、しかも大勢で同時に合わせなければ通じないものではありません。
そして、祈りの募集に関しても、善のものと善でないもの(一見善と思える)の両方があることを感じてみる必要があるとは思いませんか?

先に、「光の戦士や虹の戦士」=漫画かよ? と書きました。
これらの発祥は西洋のニューエイジとか言う思想から出たものでしょうか?

この呼び方の中には、『我(我等)こそ正義である!』的な独善的な考えは含まれていないのでしょうか?
正義を振りかざし、正義の名の下に行われるものの代表に戦争がありますよね?
一神教同士が神を引き合いに出して戦うことのバカバカしさには反吐が出ます!


光の戦士達が戦う相手は何者ですか???



私メが未だ所属しています行者(加持祈祷師)の世界にもある意味魔は多いです  苦笑

チカラを欲するあまり、知ると知らざるとに関わらず、魔の者との契約が行われている場合も多くあるのです。
先の記事で管狐に喰らいつかれたことを書きましたが、その行者は、ある天台系の???マークがつくような修験寺院で得度を受けて修行したそうです。

なぜ私メがそこに近づいたかと言えば、以前知り合いがその行者に救われたのだけど、また会いに行ってみようかと思っていると聞き、それなら遠くないから様子でも見てくるかと、軽い気持でネタの収集に話を聞きに行ったのです。


部屋にはこれでもかー!というほどの仏像、、そして護摩壇、、、昼でも雨戸を閉めてあり、入ると一瞬でイヤ〜な空気がまとわりつく様に部屋が覆われていました。
しかし、そこは感じないようにしていたのですが、話の途中で常連さんから電話が入り、そのやり取りの中で、遠隔除霊が行われた途端に・・・

正直あれにはまいりました。。

普通なら明るくなるはずの光明真言で、なぜか空気が一気に重くなり、周りをなにやら蠢くモノらが・・・
おそらくそのトキ近くに居た私メに喰いついてきたのでしょうかね。。。 結界も張らずに、、、乱れた場での油断(おひとよし)は禁物ですね。


考えてみれば、頑固な私メにソコ(大きい意味では仏教)はお前の居場所じゃないよ〜と教えるためや、いろいろな闇を見せるためでもあったのかもしれません。
そしてまた、長いこと仏事に携わり陰が極まってしまったことにも原因があるものと思われます。(坊さんが皆ではなくて、私メの場合ということですよ)

他にも理由はあるでしょうが、魔物によってその行者は利用され、またそれによって、ある意味チカラを借りていたのでしょう。
そして、更なる道具として利用しようと私メに喰いついてきたのでしょうね。

しかし、その魔物は翌日守護の計らいで消滅させられましたので、今頃その行者さんはどうしているのでしょう。。。

どんなに志あるひとであっても落ちるのは一瞬です!

(このように守護など高次の存在がいるといえども経験から学ばせるため等、最初からの手出しはしません。しかも自らが手を下して消滅させるなどはよほどのことで、普通なら自分でやりなさいってことです 笑)


またトンデモな余談を書きました。。 爆




以前の記事で、災害回避ではなく、地球に愛を・・・ の祈りは良いと思います。 みたいなことを書いたことがありましたが、それも『条件付で良し』の意味で書きました。

様々な情報を見ると、おそらく同様に言いたいことは 『神が決断を下すまでのあいだ、人間の心が問われている』 ということなのでしょう?
もしも本当に、神にそのような計画があるのなら・・・ 
そこまできても人類の意識が変われなければ・・・

神の意に従うまでです。 違いますか?

人類の多くが本当に改心するのならともかく、カンニングして高い点数をとったとしても中身が伴っていなければ何も変りませんよね!?


『お前らが悪いから善良な私まで巻き添えを喰ってしまう』なんて思いだけは持たないように、個々が精一杯今を生きましょう。
どうか助けてくださいとか、勘弁してくださいなんて命乞いの祈りをするよりも、今を精一杯生きて、それでもダメなら潔く罪なりなんなりを償えば良いのではないでしょうか?
と、私メは思うんですけど。。。


地球を破滅に向かわせている根源はどこにあるのか? それらから目を逸らしていながら地球に愛を送っても根本的な問題解決になるのでしょうか?
もちろん祈りが無駄なことだとは思っていませんヨ。 祈りと行動(生き方)が伴っていればより素晴らしい結果に近づけることでしょう。

地球が悲鳴を上げるような乱開発や文明の発達が【”破滅への道”】を選んでしまっているのだとしたら、やはりひとりひとりが現実に目を向けてどう行動するかが、神々が今 人類に一番望まれることなのではないでしょうか?


私メ思うに、アセンションという事象が本当にあるとしたら、それは、、
そのように改心というか、その大いなる意識に目覚める人が多くなり、日ごろの生活から調和が自然になることであって、この世をリセットしてまったくの別世界が広がることではないと思います。

5次元だか何次元だかに移行して人間が半物質になるんでしたか?
私メにはサッパリ意味がわかりません。。


また、予知予言のことはそれらのメッセージなりを受けた以外の人にはよくわからないお話なんですけど、潜在意識にある恐れや、例えば日本沈没やアルマゲドンみたいな映画に子供心に恐怖を覚え、地球防衛軍やウルトラ警備隊よろしく、地球のために・・人類のために・・自分がなにかしたいと思う子供の正義感っていうか、それらの記憶みたいのが天から受けたメッセージ【天啓】であるかの如くに蘇ることもある意味チャネリングと捉えてしまうこともありえるのではないでしょうか?

一昔前までは現在のように100匹目の猿よろしく、チャネラーと呼ばれる人達がこれほど多く出てくることは考えられませんでしたね。
100匹目のサル現象の考え方も意味を取り違えて、嘆かわしいことに人の差別化や、一部の目覚めた(つもりになっている)『スピオタの慢心』に繋がっていることのなんと多いことか。。。

たとえば、あるセミナーで、『ここに集まった皆さんは目覚めた者であり、選ばれし者です』(100匹までのサル)
『しかし、ここに縁のなかった人は残念ながら・・・』みたいにね。
言われた方は気持ちがいいかもしれませんが、ある意味とても危険なことですね。


現在、垂れ流し状態で溢れんばかりのさまざまなスピ的な情報の多くは、情報源のレベル相応に誤解や混乱に満ちています。

そして、地球を護ろうとする存在がいるとするならば、逆に破滅させようとするネガティブな存在がいるのかもしれませんよね?
光の戦士とかの考え方もおそらくそんなところから生まれたものでしょう。


闇の組織だとか悪い宇宙人がいるとかもよく聞く話ですが、そういう考えがあるのなら、よけいに【情報の発信源やメッセージへの審神】が必要なこともわかるでしょう?
(八代亜紀で泣ける宇宙人ばかりならいいけどね 爆)

そう考えると、、あれやこれやと言葉巧みにそれらの良くない存在に巧妙に操縦されているんじゃないの? と思える様な方々も多いようには思えてきませんか?

あなた方は、今まで少しの疑問も持たなかったのですか?
わざとらしい【きれいごとの裏】には何があるのか? それとも何もないのか? 、、
すこしくらいは考えても損はないでしょう?  笑。




例えばアセンション、、、私メにはこの詳細はわかりませんけど、ネット上に垂れ流される様々な情報には何の根拠も裏づけもないものが殆どだと思いますが、それなのにそれらに対しては何か【乗り遅れてはイケマセン】的なお祭り騒ぎと言いますか、変なブームが起こること自体が、(アセンションと言われる現象が本当に起こるとするならば)その本質から逆に遠ざかってしまっている現象に観えてしまうのは私メだけでしょうか?

まあ、それは置いといて、、個人レベルの通信とちがい、全体に影響する(または混乱を招くような)情報は受者(チャネラーも、それを読み聞きした人も)が、どれだけの判断材料や知識を持つか、どの判断基準で公表するかは今まで以上に、より慎重にならなければいけない大きな課題となるでしょう。

どんなメッセージを受け取ろうと【審神】は欠かせません。。しかし、今はナンタラ神示に照らし合わせて様々なコジツケが成される程度の様ですね。
モチロン信憑性や確率がそれだけ高いものであれば、知らせることによって当然被害も少なく済むことに繋がり、その予言的メッセージはとても有意義なことなのですが、恐怖感をもたらすような啓示が何故貴方に降りるのか?

なぜ大本教や、その教えや書に傾倒した者だけにそれらのメッセージが集中して降りるのか?

同じ終末論にしても、キリスト教意識や教派神道意識(言葉は適切じゃないですが)によって降りてくる神示や啓示の特徴があるように感じます。
サポート意識の応用範囲みたいな違いでもあるのでしょうか?
(このあたりに気付きを得た方がおられましたらぜひとも御教授御願いします)


もし、精神階層での表現(ある地域の災害等)をビジョン視して、危機感をもち、なんとか地球人類に伝えて回避させたいと考える『精神階層の住人(肉体を持たない存在)』がいたとして、地上にいる受者に『あなたには世界を、地球を救う重大な使命があるのです』などとメッセージを送っているとしたら、、それはけして悪意のある行為ではないのですが、それを受けたチャネラーの考え方にかなりの勘違いによる影響が起こるでしょうし、その方が流した情報【彼にとっては真実】が多くの人の混乱を招いてしまうことになりますよね。


また、最近あった宇宙エネルギーが地球を覆う? そのときに「皆で祈りを捧げましょう」のお祭り騒ぎ。
なんでもかんでも『100万倍』になると。。。それを信じて祈ることがどんなことなのか、疑問を持った人はどれくらいいたでしょう?
その祈りのパワーはドコに吸収されたのでしょうねぇ?

しかし、大きく見ればそうした【何者かに踊らされる行為】も人類を進化させるためのひとつの手段としての側面もあるのかもしれませんね。
知らない方はいないと思いますが、一応チラッとだけ書いておきます(100万倍のお祭り記事)

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2006年10月17日に宇宙的な誘因事象が発生。
これより2013年までの間、引き金となる出来事が続きます。
そして、これこそがその最初となります。

第二宇宙の高次元からの紫外線パルスビームがこの日地球軌道と交差します。
地球は地球時間でおよそ17時間の間この紫外線ビームに曝されます。

このビームはハートチャクラと共鳴し、青・マゼンダ色の光りを放つ性質を持ちます。この周波数帯に共鳴しますが、第一宇宙の可視光線の周波数スペクトルの範囲外にあります。
しかしながら、第二宇宙の周波数帯で働くあなたがたの魂の性質により効果を発揮するのです。

結果として思念と感情が100万倍以上に増幅されます。繰り返しますが、最低100万倍以上増幅されます。
善悪にかかわらず、またポジティヴであるかネガティヴであるかに関係なく、すべての思考、感情、意図、意思が百万倍の強度に増幅されます。

ミッション1017では百万人のみなさんに、今ここにある地球、人類、そしてあなたがた自身に対し、ポジティヴで、優しく、善良な思考に集中するよう求めるものです。
どのような思考か、その性格はあなたがたの選択に任せますが、どのような思考であれ、それが現実化するのは期待するよりも速くなります。ほとんど奇跡といえるほどのことが起こるケースが出てきます。
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これに参加した方で、【100万倍の奇跡現象】を体験したかたはぜひコメントをお願いします!

祈りとは、一般的には平和的で美しい姿ですが、『祈り』自体は本来はネガティブな恨みの想念から生まれたものだそうですね。
不安があったりすると祈る、そもそもそこに『不安』を呼ぶのだそうです。

まぁそんな話はどうでも良いのですが、この記事を書くにあたり、ある方がこの100万倍のことについて霊査した記事を先ほど偶然見つけました。
この方は私メの様な「現在の一部のスピリチュアルにもの申す」的な方ではないようですし、その能力が何なのかは知りませんが、、、
その方の記事を少し抜粋してご紹介します(ナイショですよ 笑)


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あるサイトに行くといきなり頭になにか当たるものがある。
あれ?

内容を読んでみるとまた、宇宙規模の素晴らしい企画内容です。
しかし、何か矛盾を感じます。
100万倍規模でポジティブにもネガティブにも繋がるとある・・・変。

そして一番上にロゴのようなイメージのマークがあります。
綺麗なんですが、ずっと見ていると酔ってくる。
なんとも気持ち悪いのです。

実はパソコンの前に座っていられない・・・気持ち悪い・・・寝よう。
ってな具合で昨日はそそくさと寝てしまいました。

思い出しても実は気持ち悪い。酔ってしまうのですが、
思い切って実物を思い出しながらリーディングしてみます。

マーク自体に魔術がありますね。混乱させてくる。
光の中に入っていくかのように錯覚していきます。
気持ち悪いのに、光が視えてくる不思議なのです。

しかし、何か光が暖かくない。
光は温かみも一緒に感じるんですよ。いつも言葉に出していないから伝わらないかもしれませんが、
天界の光はぬくもりも一緒に感じるんですよ。なんというか、温度があるというか。

暫く見続けると手を繋ごうと沢山の手をとり、どんどん繋いでいきます。
握手するように沢山の手が視えてくる。
そして鎖のように繋いでいく。

一人の大きな顔がみえてきます。
意識をもっと集めろという気持ちになります。
一つに集中させろと・・・

そしてその意識を口の中に入れ込んでいきます。

エネルギーを吸い取っているんですね。
これか・・・目的は。

闇のエネルギーが増えることも知らず、知らずに導かれていく・・・
闇の奴らは負だろうが正だろうがエネルギーならなんでも吸い込んでいく。
魔の世界は居るだけでエネルギーが消耗していく。

精神世界の怖い部分です。
いいと信じてします。いいことばかりを信じてしまう。
そしてそのためにエネルギーを使ってしまう。

いつも感じるが、精神世界の裏をどうして見抜く力がないんだろう?
なぜオカシイと感じないのか・・・

こういうホームページを見るたびに憤りを感じる。
そして、人間の善という心を巧みにそそのかして利用してくる。

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○また、少し前に流行して、実はインチキだったといわれているホワイトバンドを例に出してこうも書いてあります。


人は善意という言葉に心が揺れてしまう。
これを身に着けていると自分はとても善人になったような気分になれるし、人にアピールできます。

 そこに自己満足してしまう。

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この100万倍の情報を最初に流したのは、自己啓発のセミナー団体らしいですが、これらの団体は人々の善意を利用して金儲けのために色々な事を考えるものです。
今回の情報も、その団体を広く認知してもらうための虚偽、宣伝に過ぎないでしょう。 との書き込みも別のところで目にしました。
これらをどう判断するかは読んだ方それぞれにお任せしますが。。。



さて、話を戻して、、予言的チャネル情報を公表公開する判断ですが、自分ひとりが思うこと(受信した)ではやはり判断するには弱いですよね。
同じような啓示を受けた人、なんだかザワザワする、しかも感じてる時期が一致する。とか
せめてそのような人が、広い範囲(サークル仲間だけでは判断出来ません)で何人もいる とか、それらの人達での話し合いなどを経てからでもよいのではないでしょうかね?
そんなことをしていたら時間が足りませんか?

今回を含めて、地震回避の祈り等も、全体的には特に大きい混乱もなかったとは思いますが、その予言された地域に住む個人レベルではどうでしょう???

近年、大津波やハリケーン被害に遭ったところで、「また起きるぞ!」の噂による集団パニックなどを考えると、『視たんだから・聴いたんだからしょうがないでしょ!』ではあまりにもお粗末ではありませんか!?


まぁしかし、、各人が公表に踏み切った背景にはイロイロな事情や様々な悩みもあったことでしょう。
そして、現在の【この地球をなんとかしたいという善意】からのものだと思います。

引き合いに出していろいろ勝手に書かせて頂いてはいますが、私メは別にそれらの人を非難するつもりはありません。
ある意味その勇気ある行動への評価も出来るでしょう。

しかし、騒ぎを起こしておいて、その後回避されましたとか、他の地方で起きた小規模地震を利用(コジツケ)して、パワーは分散されました。程度の短いコメントで外れたことを誤魔化しておきながら、次は別のことでの祈りの賛同を煽っている連中もいますね。(念のために行脚のお方ではありませんよ)

このグループはいったい何を考えているのでしょう? どこを目指しているのでしょう? なにが目的なのか私メにはサッパリわかりません。

那須や東北に降臨した神団とはいったい何者なのでしょうか?
進軍を始めた? なにゆえ軍なのですか? 誰と戦うのでしょう?

しかも、何故「ず(づ)いず(づ)いず(づ)っころばし」なの?
隋を転覆させるの? まあこのところの隋(現・中国)は経済の発展などから資源の使い方や汚染など様々な問題はあるでしょうけど。。
しかし、この”ずっころばし”は江戸時代のお茶壷道中が通るときの様子を歌った童謡である解釈が一般的ですよね。
でも、そんなことはどうでもいいですね。どうせもっともらしい薀蓄をコジツケテ語るのでしょうからね。

※先の10/24の記事と、コメント欄に新しいもの(ダンダラボッチ)を載せてありますので、参照してください。



また、チャネルに関しての問題点と言えば、自己?メッセージのようなものがあります。

「地震と祈り」でも潜在意識ということで少し触れましたが、精神階層では相念はエネルギーとなりますから、自分がこうであって欲しいとか、こんなことが起きたら困る【或いはこんな乱れた世は1度終わってしまえ等のリセット願望も】といった希望や恐れ等【負のエネルギー】の集合体ができ、そしてまたそこに意識が向くごとにどんどんエネルギーを注いでしまい、より明確なビジョンとなって、あたかも外部からの通信のようにその情報を【逆チャネル】する場合も起こり得るのではないでしょうか?

元々自分の相念から発したモノ、もしくは同じ希望や不安を持った人達の集合意識(或いは集合的無意識)だったら、客観的な評価が出来ないので、疑うことなく「やっぱりそうなんだ」と、簡単にその情報を受け入れてしまう危険性もあるでしょう。


似たようなものに、歴史的人物、偉大なる宗教者や神仏に強い憧れのある場合にも、精神階層に『その方と会ってみたい、話してみたい願望』が蓄積されて、自己?メッセージを現象化(思い込みの神懸り現象など)させてしまうこともありますし、いわゆる念力体質の人など、制約のある意識状態(固定観念や知識からの偏見等)では、心の働きが外の世界をその人の信じているように現象化する手助けをしてしまうので、本人の想いがたとえ夢物語であっても、【客観的な事実であるかのような錯覚】を起こしてしまうこともあります。

そして思い込みがどんどん強くなれば、より現象化【本人にとっては完全に現実化】してゆくのではないでしょうか?


チャネルとは、基本的にはチャネラーが作り出しているヴァイブレーションに同調してくるもので、その人の普段の生活や人となりを観察すれば、その情報源の見当もある程度つくものです。 
また、チャネラー本人の不満や不安、罪悪感や慢心など、精神状態によっても当然それに対応する波動領域にチャネルすることが考えられるので、日々の自己浄化を欠かさずに自らを高めて送信側の波動をシッカリ読み取れるようになれば、より確実で安全な交信ができるのではないでしょうか。

いつも同一の意識体と交信しているのであれば判断もしやすく、その存在がいつもと違うことを発信してきた場合には、会話形式で探る(簡単な審神)こともできるでしょう。
(その存在の言葉なりを否定してみるとわかりやすいかも・・?)

そして、急に別の波動(意識体)に入れ替わり、恐怖を感じさせる様な予言・予告のようなことを送信してきたのなら、ますます慎重に判断(審神)する必要があるでしょう。


ここで大切なことは、チャネラーが愛と光に満たされた状態であれば、不調和な領域の存在にはいっさいの手出しは出来ないということ。
そしてまた【受け入れない(拒否!)】と強く思えば無理にはやってこないということも言えるでしょう。

まあしかし、現段階でどこにも傷を持たない(完全に癒されている)愛と光に満たされたヒーラーやチャネラーが存在するとは到底思えませんがね  爆

この【愛と光に満たされた】という言葉をやたら連発してあるサイト等はけっこう多いですが、言ってる人ほど傷を抱えている様ですヨ。
(しかも言葉の使用頻度に比例してその傷も大きかったりもしますね。。。笑)



先にも慢心と書きましたが、ある程度進歩した(自己満足?)チャネラーの場合に陥りやすい注意点として、自分は特別等、【自己顕示欲や傲慢な波動】を持てば、おのずと【危険な領域に自ら近づく】ことになり、人間を惑わそうとしている良からぬ存在や、地上に近い波動領域をウロウロしてるヒマな霊体からしてみれば、格好の寄り代(台)になってしまうでしょう。
そして、最近の一連の地震騒ぎや100万倍の祈りなども、これらの人を惑わそうとしている良からぬ存在やヒマな騒霊からのものでない保証はありますか?  謎笑


また、その存在が、受者本人にしかわからないことを知っていたとしても、幽体のオーラから読み取ったり、アーカシックレコードの領域から拾ってくることもあるので、それだからといって、送ってきたメッセージのすべてを・・・ アクセスしてきた存在自体を・・・、 すぐに善だと判断することにも注意が必要でしょう。


そしてまた、高い階層から重苦しい領域にわざわざ何かを伝えに降りてくる進化した存在でも、地上から要求する質問には、なんでもホイホイ応じるということでもありません。
(なんでもかんでもお伺いをたてて、これはこうですと答えてるサイトもありますが、何にでも答えがもらえるなど【あり得ない】ことです。特に多いのが個人的な恋愛問題だったり 爆)


通信に必要な情報をあらかじめひとつの相念の集合体のようにして、媒体となるチャネラーの圏内に持ち込むような方法をとる存在からのチャネルの場合によく見受けられる現象として、あらかじめ用意していない不意な質問に対する的確な答えが出せない、或いはシドロモドロになる等もあるようです。

そうなると、それらの事情を理解していない人は、送信側の質が悪いとか、低いとかの判断をしがちの様ですが、上記の通り、そうとばかりも言えないこともありますので、その良否の判断は、やはり数をこなし、いろいろな経験、またはそれなりの知識がないとますます難しいところでしょう。【審神者の大事】


また、チャネリングには、、現在では少ない様ですが、【フルトランス(霊媒を操作する通信)】によるチャネリングもあります。
また、このフルトランスの状態は、わかりやすく言えば【憑依憑霊現象】と同じような状態なので、懸かってくるモノによっては猟奇的な事件に発展したり、いわゆる狐憑きのような行動や、受者(霊媒体質者)の精神が耐えられなくなったり、ひどいときには【もっていかれる】現象を引き起こすこともあるようです。

しかし、憑依に関して言えば、肉体の主権は本来の持ち主にあるというのが絶対的な自然の摂理・法則ですから、本人が強い意志を持つことで、容易に追い出すこともできるのです。
が、しかし、、そのような意志があれば初めから憑依などされないわけで、やはり第三者の手を借りて除霊・浄霊などを行うことも多いかと思います。

その場合には憑依した相手(霊体)を脅すよりも、内在する神性を如何に引き出し、自分のおかれている立場を納得させ、執着から離れることを理解させる方法が得策ですね。
とは言っても、やはり憑依される側が【自ら呼び寄せ】てしまう結果何度でも出戻り憑依したり、未熟な術者の判断や行為が、より複雑怪奇な問題に発展させてしまうことも一部ではあるようです。


憑依や頼ってこられる場合には、意思の疎通ができると良いのですが、できなくともその存在に気付いてあげること、そして心からの成仏を願うこと等で通じる場合も多いのです。
というか霊媒体質者の波動(波長)が上がれば憑いていられなくなったりもしますし、本人の向上心によって守護・指導の様な背後霊団等の協力を得られることもあります。

このようなことがわかれば、いわゆる似非宗教、トンデモ拝み屋などの霊感商法に引っ掛かることも防げますが、加持祈祷や祓いの作法では、施術者が【光の存在】(笑)であるならば浄化成仏も可能、という側面もあります。

しかし、どの場合でも憑依された本人が向上する気持ちを持たず、また自覚もなければ一時的には離れるけれど、同じような憑依が現象として繰り返されることにもなります。
(しつこく言いますが、自分でその領域にアクセスして呼び込んでいますので、何をどうしようと結果的には無駄になります)


※ 憑依とは、肉体を持たない霊が地上との関わりを持てる唯一の手段ですから、肉体がなければ果たすことの出来ない欲望を満たそうとしたり、何らかの表現をしようと機会を狙っている霊が霊媒体質者の意志とは無関係に、場合によってはフルトランスの状態を作り出すものですが、原則として、霊媒がその領域に意識を向けないかぎり近づいてはきません。
ですから、霊媒体質者はできるだけ危うきに近づかず、波動を下げずに明るくおおらかにいることが大切であり、また必要なことでしょう。

その辺で拾ってしまう程度の憑依ではフルトランスなどはほとんど起こりませんからそれほど気にすることはありませんが、霊に脅されるなどの恐怖体験は、ある意味トランス状態に近いものでもありますので注意が必要です。(心霊による恐怖体験は波長の法則であり、その本人に原因があることが多いです)


ひと昔前までは、このトランス状態でのチャネリング(御神託)が主流だったようですが、危険が伴なうので、必ず【審神者】が同席していました。

時代や地域によっては批判的な意見も多く、またキリスト教会では、神託を受ける霊媒と、審神者となる聖職者が役割分担をしてきた歴史もあったのですが、聖職者が権力をにぎるために霊媒が邪魔になり、排除したうえに『メッセージを受けることは罪である』みたいに【聖書に書き加えた】結果、悪名高い魔女裁判や、魔女狩りなどという悲しい歴史もありました。

※ この「魔女」という言葉は、後世になって卑しめられる目的でつけられた言葉ですが、もとは、聖なる神事にたずさわる「女性神職者」で、その多くは、ケルト系の巫女であったとされていますが、のちにヨーロッパで発布されたサリカ法典(原型は6世紀初頭成立)などにより、正式に「巫女」がヨーロッパ社会で禁止されると、彼女たちは『魔女』として社会的に葬り去られるようになったそうです。


最近では、チャネラーの幽体のオーラに、必要な情報を波動で印象付ける より単純で安全な方法が主流になっているようです。
これなども人々の意識の向上・進化によるところが影響しているのかもしれませんね。

この場合、送信側と受信側がより近い(ほぼ同じ)波動領域にいる場合が多く、それ以外では送者が受者の領域まで降りてきたり、通信の仲介者が、異なる領域間の伝達をする場合もあるようです。

また、潜在的にチャネルした場合には顕在意識に乗りやすい状態になったときに、頭の中にその情報が映像なり言葉として浮かぶ(ヒラメキ等も含む)ことがありますので、全ての人にその資質はあるのです。

(なぜ、こう書いたかを言えば、チャネラーだけが特別な存在ではないと言うこと。チャネラーの言葉を鵜呑みにせずに個々人が判断をすることが大事だからです!最近の流れを観ると、地に足つけてと言いながら、浮き足立って【ウワサ程度の情報】に流され踊らされている人が目立ちます)


さらに幽体が発達してくると、顕在意識としてはたらいている波動領域での受信ができるようになり、より明確なビジョンや言葉として受け取れるようになるようですが、フルトランスのとき以上に【受信者の主観が入り込みやすい】という難点もあります。

この場合には、予備知識がある場合とまったくない場合では、人それぞれの違いはありますが、神主・巫女(受者)と審神者の関係を考えればどちらが良いかはわかりますね?  笑

この場合のチャネリングでは肉体に危険を及ぼすことはまずないと言ってよいでしょうが、もう一度言っておきますが、受者の解釈や主観が反映されやすいので、その判断にはより注意が必要です。 (即ち 【愛と光】、不調和な波動を持たないようにすることがより良いチャネルをすることに繋がるということですね。 笑)

このように、注意点としては、チャネラーが善意でも、潜在的にもつ【理解力や固定観念】、ものの考え方によって【通信の内容が脚色されて変わってしまう】ことが上げられます。


一部の情報によれば、
原初の人類には、皆が天変地異などを知覚する能力が備わっていて、現在のフォトンベルトのエネルギーがこの遺伝子に働きかけ、元のあるべき姿に戻そうと作用しているという話もあるようです。

様々な変化が始まり、光のエネルギーが流入し始めたため(?)、一見すると天変地異の予兆とも思える様な地震や水害等の自然災害が増えていますが、それらの変化は我々人類に、【地球の上で暮らしているという当たり前過ぎる事を自覚させる為】に起っているとも言われていますね。

また、最近特に大型化する台風が多いのは、振動数の上昇により水分が蒸発しやすくなっているからで、けして温暖化などのせいばかりではないとも言われている様です。

地殻の変動も、より深いところから地上へと。。。しかしそれも外からのエネルギー干渉によるものだそうです。(一部の情報によれば・・ですがね  謎笑)

しかし、日本では自然現象としての地震は毎日必ずどこかで起きていて、震度が3〜4程度のユレも約3ヶ月おきくらいの割合で発生します。
その全てが神からの警告や何かの霊的な意味のある現象なのでしょうか?

ネットやメディアの発達したこの情報化社会、溢れる情報の中からどれを拾うかはそれこそ人間(個)の自由意志です。   そして、その情報をどう扱うかも・・・

その情報に、なにか感じるものがあったら一度立ち止まって感じてみて下さい。そして今の自分が【スーッと腑に落ちる】かをじっくり味わってみることです。


垂れ流し状態の様々な情報に、ただ踊らされることのないように、個々人が自身の感性を総動員して判断し行動に移していただけるよう希望します。
(踊らされること自体も個々人にとっては学びのために必要なことだったりしますが・・・)


人は元々神のワケミタマと言われているように、 どんな人でも大元に繋がっているのですから、ちょっとしたシンクロ現象など当たり前の出来事です。
それらに振り回されずに、その奥にあるものをじっくりと味わって1歩1歩確実に歩んでいただきたいと思います。

現在の地震や大災害云々や、○月○日に何かにフォーカスして皆で一斉に祈りを奉げる行為をやめろとは言いませんし、その全てが似非だとは言いませんが、結局はこの様なイベントは【自分だけは良いほうに行きたい】という人たち、お役目やら特別な何かを与えられたと意識している100匹目以内のオサルさん根性の持ち主達の【我こそは特別な存在ナリ】な自己満足で終わってはならないのですよ!

と、、ちょいと厳しい言葉を添えておきましょう。




ここまで長々と書いてきましたけど、いわれてみればわかりきったことだと思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。

しかし、人はやはり楽しいほうに流されやすいもの。
わかっちゃいるんだけど、、、どこか片隅に追いやっていたり、見過ごしたり、あるいはわざと見ないようにしてる(見たくない)部分でもあったりすることなのかもしれません。
そして、自分は間違ってないと思う(思いたい)方も当然いることでしょう。


私メの言うことが正しいわけではありません。

しかし、改めてこんな意見もあるんだと知れば、皆さんも何か思い当たることがあるかもしれませんよね。


アセンションも、過去の様々な予言の様に、過ぎてみれば『なんだったの?』のブームで終わってしまうことなのかもしれません。
しかし、何か変化が起こるんだと多くの文献等の一致があるのなら、やはり何らかの変化があるものと考えられますよね。

しかし、お祭り騒ぎの様なブームになってしまって、本質が見えなくなっている方や、わかったような気になっているだけで、本当は最初からよくわかっていない方も多いように感じます。

また、ブームに便乗してるトンデモとか、イベントを立ち上げるだけの愉快犯みたいな方も居るように感じます。

何も起こらないより起こったほうが楽しいし、夢があるなんて考え方があっても良いかもしれません。
しかし、その流れの行き着く先はどこなんでしょう?

このブームに賛同しなければ、、祈りのイベントに参加しなければ、、
またはこんなつまらない疑問を投げかけたら仲間ハズレにされるなんてことはないでしょうけど、日本が戦争に負けるなど言おうものなら非国民の扱いを受けた時代とどこか似た感じはないでしょうか?(念のため、私メはその時代は知りませんけど。。)


そして、本当にその決められた日でなければ意味のない祈りがあるのでしょうか?
あるとしたらそれは何故ですか?

私メが祈りのお願いをするのなら、
『人知れず世のため他人のために【毎日5分の祈り】でもいいから捧げて下さい』
とお願いしますね。



最後に1つ
尊い祈り行脚をしておられる方について書きました。そして災害鎮静やその他の祈りのことなどいろいろなことをわざと【大袈裟】にあれこれ書いています。

誤解をしていただきたくないのは、私メはスピリチュアル否定派ではありませんし、皆さんに何でも疑ってかかれと言っているわけでもないこと、そして悪戯に各情報(または発信源)を批判するのが目的ではないということです。(まあ、そうとられてもかまいませんがね 笑)


そして、祈りに関しては、行脚の方はこう言っておられます。

『大きなエネルギーを祈りの力で封じれば、それは蓄積してやがてより大きな力が一度に開放されることにつながります。ですから、地震を止めてください。というようなお祈りはしないで、大きなエネルギーを少しずつ、散らして開放してください。 または、どうしても避けられないのであれば、人的被害を少なくしてください。という風に祈っている』

ですから、祈りに参加される方は、シッカリこれを憶えておく必要があるでしょう。
(するもしないも選択の自由です)

また、『私のように役目を持たされた者の力だけでは、もうどうにもならない。だからたくさんの方々の真心からの祈りをお願いしたいんです』 と言ってるそうです。。。
(するもしないも選択の自由です ←しつこい^^;)


(すでに参加されている方々はわかってることでしょうけど、言いたい放題好き勝手に書いてしまったので、ちょこっと付け加えさせていただきます)



そして、勝手に引用したり、引き合いに出してあれこれ書きましたことをここにお詫び致します。

長々とくだらない記事を書きましたが、、、
趣味なり、お役目なり、、キッカケはどうあれ、スピリチュアルを歩んでいる善意に満ちた方々には取捨選択の自由と行動ということを自己責任において考えていただきたい。

これが今回私メが言いたかったことなのです。 たぶん(笑)


くだらない長文にお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m





ちょっとお掃除.。o○


高天原に神留座須 皇御親の神 伊弉諾尊 衆神身曾岐の大水時に成生せる神

八十禍津日神 大禍津日神 神直日神 大直日神 底津少童神 底筒男尊
 
中津少童神 中津都男尊 上津玉積神 上津都男尊 及 祓殿の諸神神
 
諸々の障り汚を 祓ひ清むる事の由を 平けく安けく御諫給ひて 聞し食せと臼す




柚子ポン♪

これってもしかしたら週刊誌ネタ?
誰が書いたのか知る由もありませんが、とある板にあった情報です。
トンデモネタか真実かもしりまへん(^^)v


お得意の【勝手に引用】を元に、これまた勝手にあれこれ書かせていただきます。
(後半はほとんど伏字のみです)


私メが何故これを書こうと思ったかをお話すれば、、、、、
それは最後に書きましょうかね 。。 書かないかも知れませんがね   笑


これはおおむね事実。 だそうです。
おおむねというところが謎ではありますが、そこに私メが付け足したりしたらどんな記事になるのでしょう  笑
(本筋は変えませんのでストーリーは書いた方のものとお受け取り下さい。念のため)


書いた方の知り合いの方によると、
以前、身○○神社に行ったときに、入場料を徴収されたのには少々面食らったようですが、境内は神気に溢れ、とても神々しい素晴らしい神社だったそうです・・・。
(事実は事実だとしても、社会的に問題もあるでしょうから、敢えて伏字を多用しますが古神道に興味がある方ならここの神社の名前は聞いたことがあるでしょう)



場所は、山梨県に位置する白川神祇伯王家(伯家神道)の道統を継承すると云われる神社で、(古)神道の神職・巫女の養成なども行っていますが「十種神宝御法」を主軸とした各種みそぎ鎮魂の行法等を行っています。

「初学修行座」として体系化されたされた入門では、「言霊の法に基づく祓い行」「息吹永世」「五魂の進化と調和を目指す天津息吹」を主体として指導しています。
そしてその究極は、「各種鎮魂」「はふり」「秘法」の斎修を経て「布斗麻邇」「幽斎」に至るそうです。


しかし、最近はだいぶ様変わりしてしまったそうです。
私メの手元にある古い資料では、十種の神宝の行法伝授の初学は、3泊4日で6万円、
1日体験2万円、2日で3万円とありますが、、その後3泊4日で7万6千円というシステムとなり、現在では1泊2日で5万円に変わってしまったそうです。


この身○○神社と私メの間にはなんの関わりもありませんので、最初に申し上げたとおり最近見つけた書き込みを元に書かせていただきますが、

最近ある教団に買収されてしまったそうなんですねぇ。
その後、この修学システムの変更で上記の期間/料金に変ったそうです。


この教団によると、3泊4日で行っていた頃の内容と基本的には同じで、1泊2日で学べるようにした。という回答だったそうですが、問い合わせた方が言うにはそれでは無理があるし、これは買収教団側の金儲け主義の表れであると感じたそうです。

また、買収があってからすっかりと場の神気も抜けてしまっているそうです。



身○○神社は、幕末の伯家神道の門人・井上正鐵が興した吐菩加美神道を基にしているのではないかと思いますが、この井上正鐵が一時期管理していた足立の梅田神明宮は私メの所在からわりと近いので、そのうち行ってみようと調べているときにこの書き込みが目に飛び込んできたのです。



買収の経緯・・・買収した人
柑橘系のグループ名で、男性2人組みのアーチストの片割れ、
そして、秋篠宮の皇子と読みは違うけど同じ名前(これ以上はよう言いまへん 笑)


彼の両親が仏教系新興宗教「解○会」及び神道系(?ここで疑問符)「か○なが○のみち」の主催者であることは周知の通り。
母親(年齢的には祖母?)の主催する「○むな○ら・・」も、元を正せば夫の「解○会」の出身となる。(ほら、神道系っての最初から怪しいでしょ)

母親は信者の神仏分離の意見等を鑑み、また、オウム事件の影響を考えて単独新興宗教を発足するに到った。
(事件当時、オウム信者はしきりに「○脱」 という単語を発していたため)

その際、新たな団体名を決めるにあたり、当時から信徒を修行・受講させてきた教派神道 ○教本宮「身○○神社」の坂○安○宮司に「か○なが○のみち」と云う団体名を授かった。
以後、か○なが○・・は身○○神社のいわゆる「講組織」として、機能してきた。

ところで、身○○神社(教派神道「○教」)は、明治期の「国家神道」 政策に対抗し、一貫して教導職の主張をし、出雲大社教・御岳教などに代表されるいわゆる教派神道13派のひとつであり、白川神祇伯王家 (歴代天皇に直接「神になる行」を教えてきた)の流れをくむ由緒正しい 神道教団であった。

この○教の宮司(坂○安○)がくせ者で、東京上野にあった神社が火事で 消失したのを期に、当時バブル絶頂期に全国的にも熱心な信者の多かった 山梨県北巨摩郡に70億円超の借金をして現在の「身○○神社」を建立した。


しかし、建造が終わる頃にはバブルは崩壊し、資金を調達していた「川○リース」 も倒産、神社の敷地・建物自体が不良債権と化した。
その不良債権を買ってでてきたのが某暴力団のフロント企業であるE○YA 建設(E・YAZAWAぢゃないぞ 笑)や、富○財団と称するアウトロー集団である 。

更に東京都神社庁傘下の○○○神明宮宮司などもこれに巻き込まれ、 平成16年の夏のある日、祭典の後の直会(宴会)の席で、一般人の前で、坂○宮司が暴力団員に首根っこを捕まれ、引きずり 回されたあげく『酒なんか飲んでる暇がありゃ、早く貸した金を返せ!』 などとケチョンケチョンにされた。

そこに割って入り、「まあまあ、このようなところで そのようなことは やめてくんなまし・・・」等と仲裁に入ったのが、買収側の母親及び富○財団の○○達である
(今思うと、この件は「仕組まれていた」 ものであった。)


その後、身○○神社と「か○なが○・・」は金銭面等の提携を交わし、 坂○宮司の後妻(○○子こと、SM劇作家 ○鬼六の 実の妹で元日活ポルノ女優)を「ケガラワシイ」としてこれを神社から排除。 自分の側近の者を神社社務所に送り込み、実質的経営権を 「か○なが○・・」が握った。

そして五輪ソングが大ヒットした息子(歌手)の名義で、静岡県内の地方銀行から約5億円超を借入、競売に出された前記身○○神社の敷地及び 建物を買い取り、登記名義は息子(歌手)とされ、現在に至っている。


なお、母親の娘婿及びその取り巻きは殆ど暴力団関係者(元○○組構成員)で埋め尽くされ、身○○神社の建物内(光○館企画営業室)には、神社であるのに解○会方式の「仏間」が祀られている。
更に同神社は日本能楽協会の脱税事件にも関わったとされ、 宮司及びその後妻が東京地検の事情聴取を受けているという事実もある。

この話が嘘か真か、登記簿の名義切り替えの日付を調べるか、実際に か○なが○のみちに入って身○○神社の修行(毎月1回、3泊4日で 7万6000円 )にいけばわかります。
(※私メ思うに、これを書いた人は信徒さんか内部関係者でしょうね。)


尚、一般参拝者の少ない身○○神社のテコ入れのため、2006年夏に、 息子(歌手)のコンサートを同神社でしたそうです。お笑いぐさですな。

いいわすれてました。
息子(歌手)はデビューしたての頃、小室某率いるグループの女性と身○○神社に 一緒に来ては、一般人・神社職員を遮断して、「お籠もり修行」に 励んでいました。
エッチら オッチら・・・「若い」って、いいね.。o○

以上。


こんな書き込みを見つけて、私メなんだかくら〜い気持ちになってしまいました。
この買収した息子(歌手)は、知り合いの修験寺院に体験修行をしにきた話も聞いています。
また、未だ私メが僧籍にある某大本山の機関紙にも父親の教団や息子の名前を見ることがありますし、ある神社を買ったという話も聞いてはいましたが・・・

まさかこんな詳細が隠されていたなんてねぇ。。。
(とは言っても、、なんだかちょっと時期にズレがあるような気もするし、、このハナシ自体嫌がらせのネタかもしれないけど、まぁこのお方達が買収して現在に至ることは事実なのでしょう)



で、、、最初に申した書こうと思った理由については、、、

実はまた存在さんのオハナシになりますが、
以前にとある仏教系の新興宗教(これまた某大本山に寄生)のことを知人と話しているときにいただいた言の葉からのつながりがあったからなのです。

日本神界の存在さん達の話は、先の記事でチラッと触れましたが、この存在さん達の名はいろいろなチャネル系のサイトではメッセージの主としてよく見かけ、一説によるとアセンションのために働いているとも書かれています(真実や如何に?)
しかし、、、そこここで書かれているような怖いことばかりを云ってるわけではありません。

『ひとつたのまれてはもらえぬか・・・』などと言われることもありますが、、未だ怖いことを言われて、『祈れ』と伝えられたことはありません。
あ〜、ある存在さんには、「誰某のためにこう祈りなさい」と祈詞は伝授されましたけど、個人的な問題です。
(そんなわけで、地球規模・宇宙規模を救えと言われた方は、私メなんかとは違って相当なお役目があるのでしょうね〜  笑)


おっと、、、こんなことより理由でしたね。

私メとある大本山の僧籍にあると書きましたが、ある存在さんの言うには、、私メ本来の生き方である「惟神(かんながら)」に戻るべしと。。
まあ、仏教にドップリと浸かっていたことにも意味があるのですが、陰が極まってきたことでもあるし、『まあ、、そろそろコッチに戻れや〜』と言うことらしいんですよ   笑
(それぞれの役割に分かれているだけで、世界中の神も仏も皆一緒との見方もありますが、単純にただのちゃんこ鍋ではありませんよね)


でね、、私メいろいろ相談をされたりもしますし、また、興味本位でいろんなところを覗きに行ってはネタを仕入れてくることがあるのですが、トンデモ祈祷師を操る(祈祷師が操る。ぢゃないところがいいでしょ 笑)管狐に喰いつかれたりとか危険な目にも遭ってしまうんですけど、その存在さんが言うには、『惟神に見せかけた仏教もあるからのぅ〜』(それにも気をつけろってこと)だったんですわ。

まぁ、大本教分派の手翳し宗教などには観音さんや弥勒さんを祀るところも多いので、それかよ? 
程度に思っていたんですけど、、一般的にも古神道では知られたメジャーな教団が・・・ 
しかもあの有名人が・・・
こんなことになっていたんでビックリしてしまったわけなんですよ。



もったいつけたわりには大した理由ではないんですがね   笑

しかし、人を欺いてまで金儲けしたい教団とか、金でなんでも出来るって考える信仰者ってなんなんでしょ.。o○
かなりイタイおはなしですねぇ。。。

まぁ、、言ってみれば宗教なんてものはほとんどドコでも様々な問題等々があってアッチもコッチもソッチもドッチもどんぐりの背比べ
ってゆーか、、
ある意味どんなところも似たり寄ったりと思っていますがね。。。



まぁ どうでもいいちゃぁ ど〜でもいいんですがね。。 なんかこう悲しいわけなんですよ ええ。。。


なにか問題があったら非公開にしましょうか? ←だれに言っとるだ  笑






 【豐】の考察、、〜(櫛・甕)


またまた放置状態が続きました。。
私メちょっと疲れが溜まっておりまするので、改名関連でちょっと軽めの記事で繋げてみましょう。

題して『豐のヒミツ?(ってことでもないか。。)』  笑


さて、、前回の記事で改名した【豐比古】の名はあるお方にいただいたものと書きましたが、その存在さんはこのブログ内にも度々登場しています  謎


いずれ詳しく書くときがあるのかないのかそれは謎ですが・・・
 (特に聞いたわけではないけど、書くなとも言われていませんがね 笑)
ヒントをちりばめつつも、今は 魂レベルで?縁のある存在とだけ書いておきますか。。

こんなことを書くと(過去のスピ批判ともとれる記事を読んでも) 私メのスピに関するスタンスはどこにあるの? コイツはどこを向いてるの?と思うでしょうね  笑

それをハッキリ出さないのが私メのスタイルかもしれませんが、、
別になにも隠すつもりなんてありませんヨ。


まぁ、スルドイ方は既にわかっていることでしょうけど、そのうち皆さんにもわかるときが来るでしょう
 としておきましょうネ ふふふ.。o○



さて、、豐比古の名ですが、豐以外の文字は意識的に変えてあり、本来は属性や働きを示すナンタラのナニナニという具合に、7文字の名になります。
まぁ、、それはどうでも良いことなんですけど、この「豐」、そして「櫛・甕」については以前から興味があったのですが、ひょんなことから豐情報を見つけましたので、そこから更に探ってみたこと、また、最近ナニゲに読んだ本に今まで思っていたことがヒットするわするわで、スーッと腑に落ちる部分が多かったので、そこからのオハナシを交えて自分のための保存用としても書いておきます。

(研鑽が深まれば、この文中にも???って部分も出てくるとは思いますので、あとからの訂正があるかも 笑)



最初に、豐・櫛に関しては、別の調べ物をしてるときに、とある神社関係サイトに書いてありましたのでちょっと引用してみます。

-----------------------------------------------------------------
「豊」は、そのまま、「豊かな」「豊穣」「充ちた状態」を意味する美称。豊受大神・豊玉姫がその例。
特に豊受大神は、豊宇賀能売(とようかのめ)とも呼ばれるが、豊穣の神(稲荷大神)である宇迦之御魂(うかのみたま)にさらに「豊」を冠したイメージ。

「櫛」は、「奇」とも書かれ、「豊」と同様の美称で、奇稲田姫は、美田・豊穣の姫の意味らしい。
あるいは「奇跡」の意味合いも。


「奇」という文字と、祭神の機能・神徳を考えると、「奇霊(くしたま)」という概念に通じる。

神道の教義で、神や人間の霊魂は「一霊四魂」、つまり、一つの霊と四つの魂から成るとするものがある。
一霊は「直霊(ナオビ)」で、四魂は「荒魂・和魂・奇魂・幸魂」である。

荒魂
神霊の機能としての、荒々しい側面。台風や洪水といった自然災害に代表される、怒れる神の作用。

和魂
荒魂に対するもの。神霊の機能として、人間に対する平和的側面。雨や日光の恵みなど。神の加護。

奇魂
和魂の一つ。神の奇跡。神霊の機能として、特に医薬の分野で用いられる。人命に対する神の恵み。

幸魂
奇魂と同じく、和魂の一つ。豊穣・豊漁など。神霊の機能として、特に産業に関わる分野で用いられる。

「櫛」=「奇魂」とする説は多くの資料に見られる。
ここで注目されるのは、「幸魂」の機能が、「豊」に充てられる点だ。
-----------------------------------------------------------------

というものです。


そして、神名にも多く使われるこの「豐」には、蘇我氏が深く関わっているらしき資料がいくつかありました。

豐が、邪馬台国の卑弥呼以降の臺与=台与(トヨ)から始まるにしても、豪族由来の地名から始まったにしても、一説による神功皇后=台与説と、神功+武内宿禰との関係や、日本書紀では消されてしまった古事記での武内宿禰=『蘇我の祖』 説があったり。。。

(実際は台与=豐鋤入日賣命が有力らしいですが…)

そこから蘇我氏の系統を探ってみると、聖徳太子(豐聡耳皇子)推古天皇(豐御食炊屋姫)用明天皇(橘 豐日尊)、蘇我入鹿or蝦夷(蘇我蝦夷、通称は豊浦大臣、『上宮聖徳法王帝説』では「蘇我豊浦毛人」)、神功皇后と推古天皇の豐浦宮などなど数えればキリがないほど蘇我氏と豐が関係しているんですねぇ。。




しかーし、、ドコゾのウワサでは、私メの過去世には物部があるのです! 
                   (↑ホントかよ? 笑)

本宗家かあるいはそれに近い物部であったのか? その時は女性としてこの世に生を受けたのですが、他には知られること無く、跡取り(男)として育てられ日々の生活を送っていました。とさ

まあ言ってみれば男装の麗人ってところでしょうか〜 キラ〜ン☆  笑

それは良いとして、なぜそんな私メに蘇我のキーワードでもある「豐」の文字が・・・?
これはまだまだ探り甲裴のあるところですね。



因みに、蘇我のキーワードと言えば、豐の他に亀(亀甲・籠目)もありますが、、、
亀=甕(瓶・かめ)なのかは謎ですねぇ〜

で、亀と言えば、、、

明日香を象徴するモノに亀石がありますね。
顔の向いてる方角には古墳が多くアリ、一説にはこの亀石があの世とこの世の境だとか云われているそうですね。
そして、東西の向きが変わると(ポールシフト?)・・・なんてコワイ予言も残されてますね。。

それから、酒船石遺跡の亀形石造物は水を入れて神に祈る祭祀に使われたとか?
ここからもアスカ=蘇我=亀と言えるかもしれませんね。


そして、またまた亀と言えば、出雲系の御神紋である「亀甲紋」があります。
出雲には、龍蛇ということで「海蛇」のキーワードがありますが、じつはコレ地祇というより「海神」(わだつみ)を思わせるマークですよね?
で、わだつみといえばワダツミなんですが、もともとイザナギさんに「そなたは海原を治めよ」と言われたのは・・・?  笑



亀甲とはダビデの星と言われるカゴメ紋の三角形のツノを隠した(内側に折りたたんだ)形です。
実はこれ、角を隠したのではなくて、中の亀甲を隠すために現れたもうひとつの「亀甲」なのです。
(言い切っていいのかよ? 汗笑)

なぜ隠す必要があったのかについては今はナイショですがね  爆


で、、
蘇我=亀とすると「カゴメ」の一方が解けたことになるわけですが、もう一方の鶴に関しては、島根県の石見一之宮「物部神社」の御神紋が全国で唯一の「ひおい鶴」という真っ赤な日の丸を背負って飛翔するなんとも意味のあるシンボルマークを使ってますよ。
(主祭神である物部初代の宇摩志麻遅命が石見国に鶴に乗って降臨したと伝わる)


あ、そういえば日本航空も親方日の丸からのシンボルマークで真っ赤な「鶴丸」を使ってましたね。
記録によると、1960年7月にDC-8「FUJI」から「鶴丸」を背負い、2008年5月31日のラストフライトまで続いていたんですね。

        mononobe.jpgtsurumaru.jpg

余談ですが、この鶴丸はドコゾのナンタラ学会でも使っていた紋として有名ですが、実はコレ日蓮正宗の御紋なので、破門されてからは当然のことで、ナンタラ学会では使ってないんですね。
(そのせいかオークションにヤタラ出品されているのには笑えますが・・・)


そんなわけで、鶴と亀が統べった・・・ (いきなりオハナシが戻ってます)
鶴と亀、物部と蘇我、、その先に現れるのがアノお方とコノお方ですね。

となると、後ろの正面だ〜れ?
ってなところが気になるでしょ?

しかーし、、この記事はそこのオハナシではアリマセンのでアシカラズ  笑


でもちょっとだけ触れます?

鶴と亀がすべる(一説にはツベル)
漢字で書くと真っ先に「滑る」をイメージしますが、「統べる(統率・支配)」・「総べる(統べる・常用外)」の漢字を充てるとナニヤラ意味深になりますね。

物部の祖神といえば、今では誰もが饒速日尊の名をあげるでしょうか?
しかし、大っぴらにこの名を主祭神と掲げる神社って・・・
物部と一緒に消されたのでしょうか、たぶん埋没神の一柱となっていますね。

※石見一之宮の物部神社でさえ、初代・宇摩志麻遅命が主祭神で、相殿の下の位置(右)に饒速日尊を祀っています。
(もっとも上の左座には天御中主神ですから、当然右座になるのですが、左には天照皇大神の名も・・)


記述では、いわゆる天孫降臨物語りに先駆けて降りてきた神で、瓊瓊杵尊の兄貴とされていますけど、神国ニッポンに降りてきた天孫第1号?とするならば・・・ってオハナシですよね。

しかも、瓊瓊杵には三種の神器なのに対して、饒速日には十種の神宝を・・・
この辺りはやはり、名は体をあらわすってことがヒントとなりますかね。


埼玉所沢の北野天神は、もとは物部天神といわれていましたが、文字通り鶴の物部は天神系になります。
で、一方の亀の出雲は地祇になりますが、須佐之男尊は神話では天神でありながら地祇ですね。。


はい、鶴と亀が統べると、、後ろの正面は誰なんでしょう・・・?


先ほど書きましたが、饒速日が実在する神ならば、、いつの頃から隠されたのか?ですね。
そしてやはり本名にある「天照国照」の文字が意味するところは・・・なんですよ。。

謎はまだアリマス。。
一説によると、饒速日の幼名は「大歳」とも。。



さあ、、この後もイロイロ散りばめながらオハナシを進めましょう。。


亀といえば北方鎮護の【玄武】とも関連がありますね。

出雲大社は、御祭神とされる大国主命を正面に拝むには、社殿の左側面から・・・と知られていますが、
拝殿正面からの参拝では、須佐之男尊を拝む形式になっています。
そして、ソコは素鵞社(そがのやしろ)というんですネ。。
出雲=須佐之男=蘇我とのつながりも探っていくとおもしろいですよ。


また、神話に目を向けると、、、
浦島太郎伝説には『亀』と誰もが知ってることですが、龍宮に行ったと言えば、山幸彦の名が思い出されますね。

山幸彦が乗った無目籠は水が入らないように亀甲紋(カゴメ=カゴの目)に固く編んだ籠(かご)。。
しかも、豐玉姫と結ばれる。。。ココにも豐と亀のキーワードが出てきます。

そして、古事記の神武東征記には、吉備を出航した一行に近づいてきたのが、亀の甲に乗り釣竿を持った男。。。
こんなところにも浦島太郎さんが登場するんですね〜。。。


また、日本書紀には、現存しない別巻に浦島太郎の話がまとめられているというオハナシもありますし、丹後国風土記や万葉集など、古代文書の多くに見られ、その伝説は各地に語り継がれていますね。

これと同じに、天女の羽衣伝説も各地に見られますが、こちらもじつは豐受神という豐のキーワードがあるのです。
(両伝説ともに日本国内に留まらず、多くの島国に伝わるオハナシのようです)


それから亀甲・籠とくれば、古くから伝わる籠目紋や麻の葉紋と結びつくわけですが、イスラエルの失われた10支族のオハナシやら籠神社や伊勢とも繋がるわけで、籠神社と言えばこれまた豊受大神と彦火火出見(穂穂手見・山幸彦)に繋がりますね。

っとココで出てきた10支族とは、饒速日が授かった十種の神宝(とくさのかむたから)との関係やいかに?
というオハナシにもなるワケなのでアリマスが・・・


余談ですが、この火火出見(ホホデミ)さん、別名を火遠理(ホオリ)といいますが、これってナゼカ日の出と日の入りの謎が隠されているようでもアリマスねぇ・・・?



また、籠目・六芒星は神聖幾何学のフラワーオブライフ(生命の花)や、その中でももっとも重要なフルーツオブライフ(生命の果実)も気になるところですね。

13個の球体から出来た図形とソレを結ぶ線で示されるフルーツオブライフは、存在するものの全ての起源といわれるものだそうですね。


こうなってくると、難しいオハナシの様に思えてきますが、じつはこのフルーツオブライフの13個の球体で出来た図形とは、1つの球(魂)の周りを囲む12個の球(魂)なのです!


アマテルは男神だったというオハナシは聞いたことアリマスよね?

じつはその男アマテル神にはナント12人の后がいるのです!
(あ、男アマテルのオハナシを書いたらさっきのアレがワカルよね? 笑)


そう、、コレこそが私メの中ではソレなんですよー♪

古代では、女神がトップの場合は8方位を守護する男が囲めば良いとされているのですが、男神の場合だと周りを12人の女性エネルギーで囲まなければならないという決まりごとがあったらしいのです。

なにゆえその様な・・・? ですねぇ。。。
(わかりにくいですね。。いずれこの辺のオハナシもまとめて記事にするかも?しないかも 笑)



で、、いい加減話を戻しましょう  汗

甕(カメ)と言えば、この前参拝した大甕神社の甕星香々背男(天津甕星)、そして一方甕星を平らげよと勅命を受けた側の武甕槌命、どちらの名にも使われています(不思議ですね〜)

大甕(倭文)神社 祭神は天津甕星を服従させた建葉槌命。


『日本書紀』伝
経津主神 武甕槌神 遂誅邪 神及草木石類 皆己平了 其所 不服者 唯星神香々背男耳 故加 遣倭文神 健葉槌神則服 故祈登云々

「鹿島神宮誌」には鹿島神宮の祭神「武甕槌神」は出雲の国譲りの後、各地を平定されて国の統一をはかり、未開の東国に入っては星神香々背男を討って国中を平定されたことが書かれています。
※(オオカメ神社じゃなくて、オオミカ神社・アマツミカボシ、タケミカヅチですよ 笑)

そしてまたまた不思議なのが、改めて調べてみないといけませんが、天津甕星と言えば確か物部系ですよね?

香々背男の名称はこれまでの学者の音読によると「カカセオ・カガセオ」とされていますが、常陸地方の古伝によれば「カウラザメ」と呼ばれていたそうです。

そして、このカウラザメは、当時の先住民の酋長として常陸国久慈郡大甕山の東端に居住していて、太平洋に面する北日本一帯の制海権を握っていたという伝承が「久慈郡大甕山の倭文神社」にあります。

甕星は実在した神で、東国を支配していたというオハナシが伝わっていますが、この制海権からみると、甕星=金星=星読みということで天鳥船に繋がりますかねぇ。。


(武甕槌神を祖とする藤原の祖、中臣鎌足が実は常陸(と言っても鹿島ですが)出身だったという説が『常陸風土記』や「鹿島神宮誌」にはあるようですね)


で、鹿島(春日含む)も藤原ってことになるんでしょうけど、鹿のキーワードから考えると本来は物部系でしょうかね?

しかも物部の祖神とされる饒速日さんの名が、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊ですが、櫛玉の間に『甕』を入れて櫛甕玉としてる説もあります。
そして、その他の名として、彦天火明、鴨大神、別雷神、そして○代大物主として祀られる神も饒速日さんということに。。?
(ってことは・・奇杵さんも=饒速日さん・・?さらに調べを進めましょう)


その他にも、文字が変換できませんが、くらおかみ、事解男命、豊日別、金山彦、家都美御子大神などの別名もありますが、これらは書紀編纂の折に、大歳=饒速日の史実を消すために、神名を改竄させられたものと思われるのです。

(この他神名には役職であったり、その働きを表す名もありますし、各氏族が書き残した古文書にもいろいろ書いてありますので、幾つもの名を持つ同一神がいます)


で、櫛玉彦命・櫛玉比女命という神名を聞いたことがある方もいらっしゃることと思いますが、この櫛玉彦さんは、高皇産霊命の子とされていて、そのまた子供の櫛明玉命は、玉造部の祖神とされていますね。

「神名帳考証」(神祇全書第二)では櫛玉比女命は、物部氏の祖である饒速日の妻の御炊屋比売とされています。
そうなると櫛玉彦=饒速日になりますね。


そうそうココで説明しとかないといけないのが、丹後国一之宮とされる籠神社(元伊勢籠神社)は、
皇祖神・天照大神が現在の伊勢神宮に鎮座するまでの仮宮として有名ですが、ここの御祭神・彦天火明命は、皇祖神・天照皇大神や外宮に祀られている豊受大神よりも上位に位置する本来の『日の神』(男天照神・誰だかわかるよね?)なのです! ←ズバリ言い切ってるし  汗笑

で、、物部=鹿(キーワード)でもありますから、、そうなると蘇我入鹿って名前も不思議なんですよね〜  なんて面白いから書いてみたけど、これではコジツケすぎのトンデモ?
って言うか私見ですから何でもアリってことで〜  笑


でもね、、、冗談抜きでここで気になるのが、、、甕を物部とするとわかりやすくはなりますが、では豐と同じで蘇我関連であると仮定すると・・・

櫛(=物部であろうと推測)と甕を合わせて櫛甕玉
しかも、先にも書いたけど、物部の祖とされる饒速日さんには、大歳神の別名(幼名)がありますよね。

大歳(大年神)は、『古事記』の記述によれば、八俣大蛇の段・出雲の神統譜に、素佐之男命が 大山津見神の娘である神大市比賣を 娶って生んだ御子で、穀神であるとされています。
(農耕神の根本的中心的存在として、 民間でも広く信仰されています)
又、その子である御年神・若年神も稲の神、若い稲の神であるとされる穀神です。


しかし、別書によるとこの大歳さんは、須佐之男命(素戔嗚尊)と、櫛稲田姫(櫛名田姫)の第5子とも云われています。
この父母を両親とする子には、第1子・八島野命、第2子・五十猛命、第3子・大屋津姫、第4子・抓津姫、第5子・大歳で、他に、宇迦御魂(倉稲魂命)、磐坂彦尊、須世理姫の8人がいます。

で、、因みに饒速日さんの死後、磐余彦(伊波礼彦)は、饒速日家に養子に入り神武天皇として即位したので、日向出身の磐余彦が饒速日の御子(になった)ということで、日向王子、日向御子と呼ばれたとする説もあります。
因みに饒速日さんの末娘の名は御歳といい、別名には、比売多多良伊須気余理比売、媛蹈鞴五十鈴媛とも呼ばれますが、本名は高照姫だそうです。

また、神武天皇が賊徒を討たれる時に、八十平甕を作って、此の八十平甕に五穀、即ち米や麦などを容れて、若し之に水を入れずして飴が出来たならば、是は刃に衂らずして敵が降参する。なんて言うお話もありますね。


おおおお〜〜〜  えらく脱線してしまいましたねぇ〜〜〜
っで、、なにが言いたかったか思い出したので書いておきますが、、、
須佐之男さんと言えば須賀ですね。
須賀・・素賀=ソガ・・蘇我に繋がりますね。
そう見ていくと、飛鳥(明日香)も、あ+須賀なんですね  笑


蘇我といえば、明日香=アショーカ王関連で仏教を導入だとか、イスラエルやらイランなんて国がどうとかというオハナシもありますが、物部のそのあとで闇に葬られた・・・

で、、蘇我の氏寺で日本最古の本格的寺院でもある法興寺の後身である飛鳥寺にはいくつもの呼び名があり、蘇我馬子が建立した寺院の法号は「法興寺」または「元興寺」なんですが、法興寺中金堂跡に現在建つ小寺院の公称は「安居院」(あんごいん)と言います。

そして、この安居院は現在真言宗豊山派に属しているってことで、
何故かここでも豐つながり。。 やりすぎだな  笑



・・・話を戻して

須佐=蘇我と仮説をたててみたものの、では、櫛稲田の『櫛』は前にも書いたけどキーワードでは=物部でもあるんですよねぇ。。

この櫛は、古事記によると、、
伊弉諾は、ミズラ角髪に結った髪に挿した爪櫛を手に取り端の大きな歯を一本折って火を付け、あたりを照らしながら進むと先にイザナミの姿が見えた。。
というくだりがあり、櫛は奇、また薬の語にも通じ 「神秘的な力・邪気をはらう力」などの象徴とされています。

ところで、伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなこ) 加夫呂伎熊野大神(かぶろぎくまのおおかみ) 櫛御気野命(くしみけぬのみこと)の神名を目にしたことはあるでしょうか?
これらの神名は出雲一之宮の熊野大社に祭られる神さまですが、

「伊邪那伎日真名子」
これには、イザナギ・イザナミに可愛がられる御子の意があります。

「加夫呂伎」とは神聖なる祖神の意です。

「熊野大神櫛御気野命」は、熊野に坐す尊い櫛御気野命(神)という意。

そして、これらの御神名は須佐之男命(素戔嗚尊)の別名でもあります。
ど〜です? おもしろいでしょ。。

須佐之男さんにも櫛の文字が使われているんですねぇ〜
ってことは、、、=蘇我+物部の図式が出来上がってしまいますね。


ってことで、、私メの私見というか感覚では、確かに仏教導入において、、蘇我vs物部はあったのは事実でありましょう。。。

が〜、、、

元々両家ともに同族か、それに近い系統の豪族と見ているのですが、史実でも様々な繋がりがあって(物部守屋の妹が蘇我馬子の奥さんだったり、昔はいろんな意味での結婚などもありましたし・・)、かなり大きい内紛はあったものの、それもおそらくは「何者かによって仕組まれた仲間割れ」(内物部と外物部の争いなんてのもあるし・・)、あるいは後の世の捏造ってことはないでしょうか?

近い関係での仲違いだとすると、大きい争いではあったのでしょうが、少なくとも歴史に言うほどの大イクサではなかった気がしているのです。

元は両家とも大陸系移民でしょうけど、土着の民に友好的で後の天孫族の様に侵略的ではなかった気がします。
そして、土着の民の協力も得て和を持っての国づくりや、供にチカラを合わせていた仲なんじゃないかと・・・
そう思いたいってこともあるんですがね  笑

まぁ、視えてしまったオハナシが私メの過去世であるならば、(と書いておきますが)
だとしたら、蘇我に斬られて絶命するわけではありますがね  笑


そして物部抹殺が済んだ後、次に狙われるのは自ずと知れた蘇我氏です。
なぜならそのヒミツを知っているからですね。
やっぱ後に蘇我を謀ったヤツラが大きなカギを握っているとも思えています。。

トキの権力者はいったい何が目的だったのでしょうか?


※ココで面白い話を1つ
蘇我氏が仏教導入を目論んで躍起になっていたときに、物部氏がこれを妨害し、難波の堀江に投げ捨てた仏像を、たまたまこの地に来ていた本田善光なる人物が拾って信州に持ち帰り、後の善光寺の基礎が出来たそうですね。

また信州美和神社は、大和大神神社の祭神を勧請ではなくて、御神体を持ってきてしまったという伝承があるそうです。
そして、信州と言えば諏訪大社。私メの産土さんは東京は下町のお諏訪さまなんですけど(コリャどーでもいいな)、、本家諏訪大社の御神体山が守屋山って言うんですね〜。。。
ってことで、やっぱりやっぱりの名前が出てきましたね。
(ハイ 得意の余談でした 笑)


さて、、またまた話を戻して。。

須佐之男&大歳の北九州統一後、拠点を置き統治したのが『筑豊』
豐は豊前・豊後で、筑は筑紫ですね。
これまたコジツケと言われるでしょうが、、チ・クシを櫛と見れば、櫛と豐=物部と蘇我になりませんかねぇ??? 

 なんちゃって〜



ホントは記事を書くにあたっては諸々資料を調べ直すのが当たり前ですが、最近ダルダルなので、本を読み返す気力がありませ〜ん  泣
違ってたら遠慮なく御指摘しておくんなさいましm(__)m


で、、コレもかなり余談ではアリマスが、、、
わがやの曽祖父が亀次郎だったかな? で、祖父が源二郎、、父親が武光って言うんですよ。
武家の出なので、因縁的にも面白いことに代々次男相続なんですね〜
(うちは本家ぢゃないけどね^^)

で、、オヤジも次男、私メも次男・・・ なんてこったい.。o○
(その因縁が元で私メは仏門に入ったんですがね! 陰の氣が極まって現在はかんながら〜♪ 笑)

しかし、、武士の光なんて「オー!」って名前ですが名は体をあらわすのか???人間性は?謎?謎?です  苦笑。。

でもって、、もののふ=物部、源二郎はおそらく源氏からなんでしょう。。。
そして、亀=蘇我?
考えれば考えるほど謎が深まるんですね〜! まぁ、、どうでもいいっちゃぁ ど〜でもいいんですがね。。


っと、、ここで、思い出しました。。。
栃木の総社・大神神社の境内入り口の門固めの二社
(ここだけではアリマセンが・・)

左門には『(櫛)磐間戸神』
右門には『(豐)磐間戸神』

こうしてみると、櫛・豐は桜・橘の様に左大臣と右大臣みたいな関係なんでしょうかね?
(もっとも、天皇を中心に据えて両翼を固め政治や祭祀を司った両豪族ですからね)

そして、、栃木総社の主祭神名は、倭大物主櫛甕玉命(ヤマトオオモノヌシ・クシミカタマノミコト)です♪


因みに左右の面白い話を少し。。。

古い時代には『左(ひだり)』とは「日(火)が足りる」という意味が込められていて、また、エネルギーがあふれ出る「プラス」の意味があるので、これを上位としたのでしょうか。。

神式には霊主体従(霊主肉従)なんてことを申しまして、霊=左上位で、体=右下位の左進右退(但し条件付)

拍手を打つときは右手を少し引きます。
これは、一説には霊主体従を表していると言われています。

また、霊を直霊(なおひ)、禍霊(まがつひ)のように「ひ」とも読みます。
これは「ひだり」の「ひ」に通じ、体は身(み)と言いって、「みぎ」の「み」です。

ですから、左手は「霊」を表し、右手は「体」を表すということで、両者の融合の合掌から主である霊に対し、従である身は一歩引くということで、右手を僅かに下げてから柏手を打つというわけです。
(コジツケかもしれませんがね 笑)


で、、修験を含む仏式では 右進左退(右上位)となります。

印を結ぶときにも鞘と刀を表すときなどは、刀を隠す意味で、左(鞘)が上になることもありますが、代表的な金剛合掌などの印の多くは右上ですね。
コレなどは清浄(食事)や不浄(排泄の手入れ)等で、手を使い分ける文化的な発想でもあるのでしょうが、神道は日進の動きで「左進右退」で、仏教は月の働きの「右進左退」とも言われます。(禅だけは逆だっけか?)

因みに最近では修験をサボリ神社巡りばかりしてますが、長年のくせでつい右が・・・  
緊張する瞬間です  笑

(神式に条件付としたのは、正中に対してのことだったりしますので、真ん中より左右にずれた場合には変ることがあるためです)


しかし、そんな修験・仏式でも祓いは『左→右→左』です。
神仏混淆も体が覚えてしまいますが、頭で考えると混乱してしまいますね。
(この左(サ)→右(ウ)→左(サ)を憶えておくと、茅野輪潜りなど、神式の作法に役立ちますよ)

(神道系では時計回りのことを左旋と言いい、三つ巴の紋も元は時計回りのものを左巻きと呼びます。と言うことで、神社の本殿や境内社などはこの方向で参拝をすると良いです)

また、剣道・居合道などに通じる「戦いの場に臨む」という武道や厳しさを重んじる世界では「右起左坐・右進左退」が多い様ですが、上座の貴人に対して失礼がないように振舞う江戸時代の武士の作法「小笠原流礼法」では「左起右坐」となり、植芝守央の書いた合気道上達の本にも「左起右坐」が書いてあるそうですね。
(因みに武道の祭神は、鹿島(甕槌)&香取(経津)コンビですね^^)

また、おもしろいことに、成立の背景の関係か、、?
茶道の表千家は「左進右退 」で、  裏千家は「右進左退」だそうです。

あ〜、、、書きながらもかなり混乱してしまいます  笑

そして氣の出し入れの左右回転のちがいや、人にたいする左右回転それぞれの感じ方や、ア・ワの渦巻き=国生みでの天の御柱の巡り方などなど話題広がりますね。
ってことで、、、いずれ氣功のことなんかも書いてみましょうかね。


ってことで、話を戻して。。。。

ココまで書いて、、先に引用したサイトで見つけましたが、、、(むりやりつなげる 笑)

「筑前・筑後」と「豊前・豊後」が、九州の中心から、本州への経路上、先駆け的な位置に配されている。
神話のように、九州の高千穂へ降臨した天孫の末裔達が、本州(奈良)へ東遷することがあるならば、その位置は重要である。
また、本州(出雲や大和)に敵対する王国が存在すると考えると、その位置は、守りの要であり、「門神」に相応しいだろう。

門神の「櫛」と「豊」は、地名から来ているのかもしれない。
あるいは、先に門神としての「櫛」と「豊」という言葉があり、それを地名としたのかもしれない。

物部氏は、古代、北九州の遠賀川河口近く(筑紫:チクシ)から河内・大和へと移住してきた氏族らしい。『和名類聚抄』などでは、北九州一帯の地名と、河内・大和の物部氏族称との一致が見られることで、それは史実であるようだ。


 ほら〜  門神もそうだけど、、、、憶えてる? さっきのコジツケ、、櫛と豐=物部と蘇我が出てくるでしょ!  笑



さらに引用してみると・・・

物部氏を凌駕した蘇我氏は、武内宿禰の子・蘇我石川麻呂を祖とするが、その出自には謎が多い。仏教擁護の蘇我氏(馬子)が用明天皇の面前で「詔に随いて助け奉るべし。たれか異なる計を生さむ」と言った時、皇弟の穴穂部皇子が豊国法師なる人物を引いて内裏に入ってきたという記録がある。

この豊国法師とは、豊の国の法師であり、豊の国では、正式に百済から仏教が入って来る以前から仏教が伝わっていたと思われる。
つまり、豊の国は、当時、文化的先進地域であった。

また、用明天皇の名前は「橘豊日(タチバナノトヨヒ)」といい、豊後地方に用明天皇に関わる「炭焼き長者」伝承も残っている。

さらに、蘇我氏が絶頂期にあった六世紀〜八世紀の天皇家には、

豊御食炊屋天皇(トヨミケカシキ:推古)
豊聡耳(トヨサトミミ:聖徳太子)
天豊財重日足天皇(アメノトヨタカラカシヒ:皇極、斉明)
天万豊日天皇(アメノヨロズトヨヒ:孝徳)
天之真宗豊祖父天皇(ヤマトネコトヨオオジ:文武)
日本根子天津御代豊国成媛天皇(ヤマトネコアマツミシロトヨクニナリヒメ:元明)
天国押開豊桜天皇(アマクニオシハラキトヨサクラ:聖武)

など多数の天皇・皇后・皇子の名に豊の字が用いられている。澤田洋太郎氏は、この「豊王朝」を「蘇我王朝」と見ている。
蘇我氏と豊の国の関係は良くわからないが、仮に蘇我=豊(トヨ)だとすると、物部=櫛(クシ)と関連し、非常に興味深い。

古代の二大氏族である「蘇我」と「物部」は、平安期にはすでに衰退していたわけだが、これら強大な氏族を、まるで水戸黄門の助さん・格さんのように従えることにより、天皇の祖神の偉大さを称え、現天皇(平安期)の絶大な権力を示す、絶好のプロパガンダではないだろうか。



ほらね、、、やっぱり他でも豐=蘇我説を説いてる人がいましたねぇ。。


私メは一方でトンデモの評価もされてる? 関裕二氏の書いた本がかなり腑に落ちる点が多かったので、それを参考にしているのですが、たぶんこの方も同じなんですね。

それによると、やはり中臣(物部一族か)家に潜り込んだ百済王・藤原鎌足、不比等親子の悪企みが天智・天武を巻き込んで日本の歴史をグチャグチャにして今日わけのわからない未履修問題にまで発展??? 
ん? ソコまでとは言わないけど、7世紀以前の歴史を己の出自と悪さを隠すために辻褄の合わないおとぎ話に塗り替えてしまった名誉欲しか持ち得ない陰謀大好き困ったチャン親子説に激しく同意ですね。

この本の中で、天孫降臨〜天照大神=持統天皇説(ストーリーがソックリ)、日本書紀は藤原の悪事隠しのために編纂(改竄) 説も、事実はどうあれ楽しくて読み応えあったよ〜

ちょっと紹介すると、、、
持統天皇の諡号は、、、【高天原廣野姫天皇】となっています。  
ハイ ココまで  爆

最近はコンビニの500円シリーズで売ってるから探して読んでミソ! オレは回しモノかよ!?



あ、、そうそうついでだから甕もいっちゃう?
長くなるけどいってみよー!


天津甕星(天香香背男)=日本書記に現れる、天津神の葦原中国の平定に最後まで抵抗した悪神とされた神(鬼)のことですね。
鬼についてもいずれ書きたいとは思っています。


先にもチラと書いたけど、
甕星(みかぼし)とは、金星のことで、明けの明星(金星)を「あかぼし」、宵の明星(金星)が「みかぼし」(逆かも?)と呼んでいたのでしょう。。
日没の頃、太陽に負けないくらいに、光輝く星を太陽神である天照神(朝廷)にまつろわぬ悪神に例えた説話かもしれませんね。


天津甕星は、(天香香背男=天背男命であれば)先代旧事本紀では天神のひとりで、尾張・中嶋・海部の祖とされています。
航海では星が命ですから、もとは大海原を航海した人々であったことの名残でしょう。

そして、この天津甕星は常陸の国で退治されるのですが、明星は太陽が昇ると(日が立つと)消えてしまうのですね  笑 笑ってる場合ぢゃねーが・・


星印の家紋は、占星術師の証であって、安倍清明も五芒星を多用しています。

古来より陰陽師達は、朝廷に対抗した「天香香背男・天津甕星」を、朝廷の運命をも左右する占星術(咒・まじない)の神として崇め、密かに、日読み(こよみ)月読み(つくよみ)に対する日本独自の占星術・星読み(ほよみ)を完成させていたとする説などもあります。

そういえば、五芒星や六芒星って甕ぢゃなくて、亀さんぽく見えますよね? ネ?(かめ繋がりか・・謎笑)



おっと、、占いの話しが出てきたら当然コレですよね コレ

太占(ふとまに)、(古事記では布斗麻邇)の中でも有名なものに亀卜(きぼく)、鹿卜(ろくぼく)と呼ばれる占いがあるということだけはご存知の方も多いとは思いますが、 これは亀の甲羅や鹿の肩胛骨を使用した占いで、現在でも神事として行われている神社もありますね。
(鹿卜に使用された鹿の肩甲骨が、奈良県の唐古鍵遺跡からも出土しています)


古くは鹿卜で?古墳時代あたりから亀卜に変わってきたそうですが、卜部・中臣がこの鹿の骨を使った占いを得意としていたとか言われています。
(亀卜は、吉田家が有力?の他、けっこう多くの流派があった様です)


亀卜のことは中国古代の「易経」にも書かれていますので、大陸から伝わった方法ってことですね。
(易以前に行われていた占法が亀卜でしょう)


その方法としては、亀の甲羅や鹿の肩胛骨の一部を割れやすくなるように薄く削り、そこにトホカミエミタメの呪文に対応した傷を付け、これを火に投じ、ひびの入り方(割れ方)で、神意を問うというものです。
(中国では甲羅に錐で穴をあけ、そこに焼けた棒を差し込み、そのときに出来たひび割れの形状によって吉凶を占うという)


※(陰陽道に基づく古天文学の暦などの資料を多く収蔵している京都市上京区の大将軍八神社には亀卜用の甲羅が展示されているそうです)

※(鹿の肩胛骨を使うものは世界的に広く伝承されていて、西洋ではomoplatoscopyや、spatulamancyとよばれ、肩胛骨を自然乾燥させて変化を見るものと、焼いて変化を見るものとがあります)



ってことで話を戻して、、


日本書紀の石上神宮のくだりに、甕襲(ミカソ)が登場してきます。

垂仁紀・石上神宮

昔、丹波国の桑田村に名を甕襲(みかそ)という人がいた。
甕襲の家には足往(あゆき)という名の犬がいた。
この犬は、山の”むじな”を食い殺した。
すると獣の腹に、八尺瓊の勾玉があった。
そして、それを献上した。
この宝はいま石上神宮にある。 と。。

石上神宮と言えば物部ですね。
そして石上の祭神の布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯魂大神=須佐之男命の系譜に繋がります。

布都(フツ)=父、布都斯(フツス)=須佐之男自身、布留(フル)=饒速日で、この三代を祀った宗廟が石上坐布留御魂神社(石上神宮)です。たぶん。。

(布都・布留(経津主=剣)と言えば、鹿島・香取も本来=物部になりますが、国譲り神話では逆に利用されているのでしょうか?そして須佐=蘇我のキーワードも依然気になるところですね)

『石上神宮』縁起によれば、、神武天皇東征のおり、国土平定に偉功をたてた霊剣(平国之剣=フツノミタマ)とその霊力を布都御魂大神と称し、また饒速日尊降臨に際し、天神から授けられた鎮魂の主体である天璽瑞宝十種と、その起死回生の霊力を布留御霊大神と称し、この二神を物部連の遠祖の宇摩志麻治命をして宮中に奉斎せしめた。とあります。


で、面白い話ですが、
饒速日が長脛彦の妹を娶って、生まれたのが宇摩志麻治命。この物部氏の遠祖とされる宇摩志麻治命(事代主神)は十種の瑞宝を献上して瓊瓊杵尊に帰順した。これらの品々は十種神宝と言われ、布留魂大神(=饒速日)の御霊である。

須佐之男が紀伊国熊野に上陸したときに持っていた神宝剣を、佐士布都神(サジフツノカミ)、甕布都神(ミカフツノカミ)、布都御魂(フツノミタマ)とも言う。なんて話もあります。

石上神宮では、魂振りの呪術、鎮魂や布留倍祝詞が継承されていますが、これは『物部の呪術』と呼ばれ、鎮魂とは身体から遊離した霊魂を戻すことで、これは古代の『鬼』の神霊力とされたものです。

鬼に関しても面白い話は多いのですが、それはまた後ほど。。。


またしても脱線しましたが、、
甕布都がでてきましたので、話を「甕」に戻していきましょう  笑


ちなみに、南総里見八犬伝にも、風を操る「甕襲の玉」なんてのが出てきます  笑


書紀の記述を簡単に説明すると、垂仁天皇に、八尺瓊勾玉を献上したのが、丹波の国を支配していた甕襲という部族だということですね。
丹波の桑田と言えば、、、一之宮には三穂津姫さんを祭ってますね〜(今は関係ないが 笑)

勾玉は、縄文時代からの伝統を受け継ぐ古い部族の宝で、それを造っていた玉造部が、甕襲だということになるのでしょうか?
ここで、思い出していただきたいのが、八岐大蛇の尾から天叢雲之剣(後の草薙剣)を取り出したオハナシ.。o○

むじなの腹から八尺瓊の勾玉と同じですよねぇ.。o○

ってことは、出雲神話と同じように、甕襲という部族(土着の豪族)が、大和朝廷に忠誠を誓う証として、八尺瓊勾玉を献上したのでしょうかねぇ?
まぁ、、記紀はあんまり信用できませんが、いかがなもんでしょうかね  笑


そして、玉と言えば翡翠と相場が決っていますが・・・ (たぶん。。)
甕襲の勾玉は、古代においては出雲の製鉄に並ぶ、特別な存在だったのかもしれませんね。


翡翠は八尺瓊(八坂瓊:やさかに)の名が示すように、古くは瓊(ぬ)、沼名玉(ぬなたま=ぬのたま)、青玉、玉(たま)などと呼ばれていて、雌雄のカワセミを表す「翡翠」は後世、中国から入ってきた言葉です。
(雌雄なので、翡翠の漢字は、ドチラも一字でカワセミと読みます)

そして、卑弥呼の後を継いだ台与が、3世紀頃、魏に朝貢した青大勾珠は翡翠(硬玉)であったと見られています。

翡翠には「硬玉」と「軟玉」がありますが、日本で硬玉が産出されるのは唯一糸魚川流域だけで、世界的に見てもミャンマーとここの二箇所でしか産出されないので、日本各地ばかりか、マヤあたりの遺跡でも出土される翡翠(硬玉)は糸魚川から伝わったものであると推測されるのです。

それから翡翠と言えば出てくるのが豐であり蘇我氏なのです!

7世紀の蘇我氏は翡翠の加工を独占的に行っていましたが、蘇我滅亡(絶家はしないが)の後に翡翠も姿を消してしまうのです。
銅鐸が消えた謎とも共通するオハナシなのですが、それより甕襲と蘇我は同族だったのでしょうかねぇ?(おそらく関係はあるのでしょうね)


そして、その糸魚川上流には諏訪があり、古事記で言う出雲の国譲りで敗れた建御名方神が逃げ延びた地で、その母神とされる奴奈川姫と大国主命との結婚譚は、古代出雲族と奴奈川族との同盟をあらわすものだとも推測されています。

まあ、これらはどうでもいいことなんですが、、この同盟を考えるとき、、天皇家と豪族のつながりを現したのが家紋と同じようなキーワードとしての『豐・櫛・甕』だったのかなあと。。つなげてみる。。 笑



出雲大社の御祭神大国主大神の別名もまた櫛(奇)甕魂神と言い、物部氏の祖も櫛甕玉(饒速日尊)でしたね  笑
(櫛甕=クシミカ=奇し御輝=神秘的に神々しいという意味でしょうか? 奇杵さ〜〜〜〜ん? え?)

そして、、甕襲(ミカソ)と、帝(ミカド)は、同じ「みか」を基にしています。(?)
さらに「ミカ」を逆に読むと・・・ ハイそうです!

この「みか」の語幹が「みこ(巫女・皇子)」に転じた説もあります。


そして、、甕(みか)とは、瓶(かめ)のことで、縄文時代土器で作られた瓶は、水や食料を蓄えたり、お神酒を貯蔵したりと、神聖な容器であり、また、死者を葬る棺(甕棺)であり、生活には欠かせない道具ですね。

因みに私メ、葬儀の初体験が父方の祖父(88歳)のときで、私メは小学1年生。

このときの鮮明な記憶には、じいさんを座棺に入れて土葬したのです(゜o゜;)
(おぉ! 棺も日嗣も「ひつぎ」ですねぇ・・ま、いっか)

しかも、大きくて丈夫な瓶は、作ることも難しい半面、たくさんの食料を備蓄でき、権力者でしか持てないもので、たくさん瓶を所有しているということは、それ自体が富を表し、その瓶が次第に神聖視され崇められていった話があり、前方後円墳には、権力を見せ付けるように?縁に瓶がズラリと並べてありますが、やはり古代の人にとって瓶(甕)はそれ相当なアイテムだったのでしょう。

また、縄文の古代人の「瓶(かめ)」信仰から「神」という言葉が生まれたのだという説もあります。。


死者を「甕棺」に入れる埋葬儀礼は、北九州特有のもので、弥生時代の大型甕棺の出土地域は、北九州、春日市、筑紫野市周辺に多く見られるそうです。

筑紫と言えば、、さっき出てきましたね〜〜〜〜  ココで甕と櫛が繋がりました〜!ってか?  笑


そして、播磨国風土記が伝えるところでは、外敵が入ってこないように、結界とするべく丹波と播磨の国境に大きな「甕」を埋め、甕坂と呼ばれた話や、奈良県吉野郡川上村にある縄文時代の宮の平遺跡では、環状列石の外側には立石があり、その内側には「甕」が埋められていたともいいます。


※「カメの中のお神酒を腰を屈めて眺めることからカガミ」
「大事な命を繋ぐ水に感謝を籠めて拝む」こんなところから、神社の鏡に繋がるのだと聞いたこともあります。
甕=神につながるお話ですね。



そうそう、、甕棺つながりみたいなオハナシに戻りますが、死者の舞?みたいな能では、舞台の下に音響効果のためですが、甕が埋めてありましたよね? う〜〜〜ん 奥深いかも???

双子の観世くんへ・・
元気してますか? 私メは君達の1学年下のいじめっ子でつ。。
いや、、いじめっ子ではなく1番目立ってた存在ですな 笑
(業務連絡でしたー)



あーーーー、、やっぱりマトメが大変そうだから中途半端だけど疲れたってこともあるので今回はかる〜くこの辺で  爆



ってことで、、
なぜ私メに豐の名が与えられたのかは・・・・・  
依然不明のママではあります.。o○  ママ〜  ←なんのこっちゃ

言いたい放題 長いわりにはサッパリ意味不明でゴメンヨ
にげろ!!!



=======================================================
11/15 14:40

ps 読み返してみた。。。話題がちゃんこ鍋のごった煮みたいで難しいでつね.。o○
  感覚で味わってもらうしかないような・・・  笑


ってことで、、ココでチラッと書いておきましょうかね。

 物部=剣 (これはわかるよね)

 蘇我=勾玉 (翡翠加工)

 甕=鏡 (玉造の氏族ですが、かめの中の水を覗く=かがむ〜鏡とありましたね)


ってゆーか、、三種神器って=三権分立の意味なのかなぁ
ってゆーか、、物部ってやっぱし自衛隊? ん・・軍隊かい?
それはそ〜なんだろうけど・・・事務次官やら幕僚等トップクラスあたりの名前を見ると、なるほど〜と思えますね。。



この三氏族はやはり天皇家が天皇家であるために必要な重鎮だったのではないでしょうかね? 
ってゆーか、、やっぱコジツケ満載だな.。o○


※半分信用できない日本書紀には、甕襲が八尺瓊の勾玉を献上とありますから、蘇我とは逆になる可能性もありますね。
しかし、、蘇我=甕襲かも?と考えると、物部=蘇我=甕襲の三氏族は本当は皆血縁で和だったりするか?

和を持って尊し(^^)v


蘇我=鏡でなにかご存知、あるいは感じる方がいましたらお知らせ下さい。
(その他なんなりと感じたこと、調べたことを教えてね)


しかーし、、「鏡」左大臣と「剣」右大臣は両翼を担う。
なんてことだったりするわけで、、したっけ「勾玉」はやっぱ玉座ってことになるんかいな?


ま、いっか


   かむながらたまちはへませ〜♪




追記2
ココをよくご覧になってる狛犬さんから情報がありました。

大阪府岸和田市にある夜疑神社(ヤギと読みますが、この当て字はすごい社名ですねぇ)
ここの祭神が布留多摩命。

由緒によれば、主祭神の布留多摩命については、弘仁五年(814年)成立の『新撰姓氏録』に『八木造。和多罪豊玉彦の児、布留多摩命の後なり。』とあり、奈良時代以前にこの地を治めていた八木一族が、祖神をお祀りしたのが起源と考えられる。 とあります。

和の多い罪?でわだつみ(海神)としてるところが朝廷の睨みから逃れるためなのか、朝廷側が書かせたものかは不明ですけど社名と共にすごい表記ですねぇ。。。

ところでこの豊玉彦さんは豊玉姫さんのお兄ちゃんとかイヤこれぞ海神大神だとする説がありますが、朝廷の顔色を見るなどの隠れ蓑的祭神のすり替え等がなかったとすれば・・・どちらも八木一族の祖神とされていて、布留(物部)多摩命と豊(蘇我)玉彦命の間にはやはり近しい関係があったともとれる由緒ですね。

そして、岸和田市のHPには「轟川・天の川周辺の話」にある、「夜疑神社と唐臼」と題される物語にこう書かれているそうです。

布留多摩命は豊玉姫命の妹であると。。。
つまり、豊玉彦神は、やはり豊玉姫命の兄神か父神であるとなるでしょうか?

じつは、紀の一書に豊玉姫の父の名として記してありますので、やはり日子穂穂出見尊が訪れた海底の宮(龍宮)の主、海神さん=豊玉彦神ですね。

また、姓氏録に和多罪豊玉彦命の子の布留多摩乃命を祖とする八太造とありますが、フル・フルタマといえば、先にも書きましたが、=物部となりますからやはり豐と布留(蘇我物部)の関係は捏造された物語を歴史で刷り込まれているのかもしれませんね。。


しかし、難しいことは抜きにして豐との姉妹として布留がくるところがなんともいいですね〜
ってことは、、、おねぇって?(謎)

物部蘇我の仲良し説においては、ツボにヒットですが、未だジャストミートの決定打とはなりませんけど、面白い情報ですね。

狛犬さん ありがとう! これからもよしなに(^o^)丿


 ふるべ ゆらゆら と ふるべ〜♪




ってことで、豐の話からは、玉(翡翠)のつながりがでてきましたが、豊玉といえばその説話の中にも出てくる不思議な神がいます。


それは、日本神話に登場する神であり塩竈明神と言われていますが、このお方実に不思議で興味深い働きをしています。
いずれもう少し探ってみたい神のひとり(一柱)なんですが、余談ついでにご紹介しますと、、、

古事記では塩椎神(しおつちのかみ)、日本書紀では塩土老翁・塩筒老翁、先代旧事本紀では塩土老翁と表記する。
別名を、事勝因勝長狭神(ことかつくにかつなぎさ)といい、一説には天饒石国鐃石天津彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)天孫降臨説話に登場する吾田国主事勝国勝長狭君(あたくにぬしことかつくにながさのきみ)は、またの名を【大山祇命】とも・・・

海幸山幸の説話では、彦火火出見命(山幸比古)に間無籠(まなしかたま)を与え龍宮へと誘った方だと伝えられ、神武東征の記述では、塩筒老翁が東に良い土地があると言ったことから神武天皇は東征を決意したとあります。

海関係の神を思わせる存在ですが、この大山祇説を追ってみるのも面白いかもしれませんねぇ。
(海神=須佐之男説があり、また須佐之男=大山祇説があります。須佐之男と言えば月読説もあったりしますが・・海神と山神にはさぐれば面白い繋がりがありそうです)



また塩土老翁は、一説には武内宿禰であるとも言われたりもしますが、総本社である鹽竈神社(宮城県塩竈市)の社伝では、武甕槌神と経津主神は、塩土老翁の先導で諸国を平定した後に塩竈にやってきたとする。
(武甕槌神と経津主神はすぐに去って行くが塩土老翁はこの地にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたといわれています)

※海の神、製塩の神、呪術・予言の神などとして信仰されており、各地の塩釜神社で祀られています。

この他様々な場面で重要な役割をすることで知られ(登場人物に情報を提供し行くべき方向を示すという重要な役割)、物事を知り抜いた老人というイメージの神ですが、私メのイメージとして道明けの神としての性質を見ると、猿田比古さんとダブる気もします。

で、猿田比古さんといえば、伊勢の阿邪訶(あざか、旧一志郡阿坂村(現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死んでしまうんですが、
海に沈んでいる時に【底どく御魂】、吐いた息の泡が昇る時に【つぶたつ御魂】、泡が水面で弾ける時に【あわさく御魂】という三柱の神様が生まれたそうですが、何か塩爺に関連がありそうにも思えてしまうんです。。


塩土老翁=猿田比古とするのはかなりコジツケかもしれませんが、そんな説もないわけではありません。
そして、塩土老翁といえば、山幸彦が海神から「潮満玉・潮干玉」をもらった話もきになるところ。

この二つの玉を豊玉姫・玉依姫の働きと見るむきもありますが、それを発動させるには第三の玉が必要だなんてオハナシもあったりするようです。
もしそれが何かの意味をなすものだとしたら、その第三の玉には、塩土老翁が関わっている気がしてるんですよ。

この話の出所がスピなヨタ話って可能性もあるのですが、ちょっと気になりますので、出来たらこのあたりもまたいつか探って書いてみたいと思います。
(もしかしたら女神系ゲームのお話なんでしょうか・・・?)





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 花杵庵 豐比古 

Author: 花杵庵 豐比古 
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趣味 ?: 神氣浴・スピいぢり

職業 ?: 法螺職人(内職)

性格 ?: お気楽・いい加減
       ホラ吹き♪

ひとこと: ほらふきの
        言うことですから

------------------------

スピいぢりはスピいぢめでは
アリマセン

スピ全般を否定するものでも
アリマセン

トンデモかどうかは
自分で審神してね!

あはは

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