話のついでに書いてみる
前回は、【廃墟は急速に荒れて朽ちる】という話を書きましたが、いわゆる幽霊屋敷と言われて肝試しスポットになっているような廃屋等もそうですね。
また、近所で何年もの間、空き家となっている物件でもソレは密かに起こっていたりもします。
密集した住宅地でしたらそれほど早くは動き出しませんが、それは近隣の人の氣の作用でもあります。
朽ちるのは、人の氣がなくなったため、そしてその結果ヨカラヌモノが寄り付きやすくなるための様です。
その後には探検にきた人の仕業なんてこともありますが、人の氣は知らず知らずにそれだけの作用をしています。
主のいなくなった家は不思議にモノが散乱して障子や襖が破け、ガラスまでもが割れ、そればかりか畳までもが動いていたりもします。
外から見ても気がつきにくいのですが、ソレは内部から起こっているのです。。。それも自然とね。
なぜこんなことを言い切ってしまうのかを申せば、私メ実際にいくつかの物件を見て確認しています。(トキには大家が立会いです)
外部から人や動物が入り込める隙間が出来てしまっては荒らされることもありますが、それ以前の全ての窓や入り口が施錠された状態の空き家です。
そして、そこではナルホドな体験もしています。
いえ、肝試しなんかしませんよ
(大人になってからはね! しかしその筋では有名だった今は無きナンタラ外科病院はコワすぎ。。 爆)
マッサラな土地に新築する場合には、シッカリ地鎮祭等をする人が大半ですが、中古物件を買うときや、賃貸で入るときには意外と気にしませんよね?
買い物や駅、または学校に近いとか、利便性を重視したり、近所に変な人はいないか等、現実的な条件のみで選ぶことがほとんどではないですか?
しかし、引っ越す前に家祈祷をすると・・・ なんてことも実際にあるんですよ 笑
あくまでもこれらはナンタラな能力など自覚もない私メの経験から言うのであって、正しいとはいえませんよ。(たぶん)
最近はこれらの体験をする機会がありませんので探れませんし、能力がある方が違う見方をしているかもしれません。
だからと言って、このような現象を研究する気もありませんので、どうでもいいことなんですがね。。
だけど、考えようによっては、今その家の中に見えない同居人がいないともかぎりませんよね?
気になる方は、「いてもいいけど、静かにしてね!」 くらいの気持ちでいれば良いでしょう。。
な〜んてね。。。
それと関連することですが、よく「私は氣がでていますか?」とか「オーラはありますか?」
などの質問をしているのを見聞きしますが、どちらも出ていないのは死人だけですよ。
そして、ツーと言えばカーのように氣が合うなんてこともあり、氣がでていないなんて心配してるアナタの氣だって他人にも物にもシッカリ影響しているんですよ。
しかし、ナニモノかがいるような【気配】というのはどうでしょう? 氣を配ると書いてケハイです。
これも氣が出てるってことなんでしょうか?
凡夫の私メにはよくワカリマセンが同様の氣ではなく、おそらくは、磁気や電磁波みたいなモノかもしれませんが、そんなこと私メにはどうでもいいです。。爆
話を戻しましょう
朽ちるのは神社にも言えることだと書きましたけど、参拝の人の氣は遥拝でも届きますが、いわゆる活気というものがなければ弱いでしょう。
慶事の報告や、感謝の気持ちは氣としても強く真っ直ぐに届くのでしょうけど、参拝はそればかりではありません。
神様に面会するのに距離が云々なんて話しはナンセンスと思う方もいるでしょう。
(スピラーさんには多いかもしれませんが、ではアナタは何をしに神社に行きますか?)
しかし、それとは別のオハナシですよ。
わかりますか?
神云々を語るより、社殿であり境内の問題であって、神が後にくるオハナシなんです。
(難しいですねぇ)
また、神社は参拝するだけではなく、遊びや憩いの場でもあります。
入っちゃダメと言われれば、当然入りたくなるのが子供なんですが、それだからこそ枝が落ちるキケンだけではない別の意味でのキケンがないように、【場を生かしましょう】というオハナシなんです。
こう言えばわかりますか?
ウソかマコトか本当のところはシリマセンが、私メが子供の頃には近所でも「アソコの子が神隠しに遭ったんだとよー」なんて話もわりとよく語られていましたし、カマイタチなんてモノの存在もキツネの嫁入りなんてことも身近に起こった実話なんですよ 笑
社殿周辺が立ち入れなくとも、しかるべく本殿のマツリが行われていれば朽ちることはないかもしれません。
しかし、それも疎かにされて、一般の祓いや祈願・御祈祷まで遥拝で行うようであれば、それは少し考えものかもしれません。
(もっとも神職さんの心の在り方にもよりますが、今のマツリの状況では遥拝所でシッカリしたことは出来ないでしょう)
もともと神社の起こりは、今に残る地鎮祭のようなもので、依り代となる神籬(ヒモロギ)に神を降ろして奉る形式です。
それがのちに聖なる地に常設の祭壇を設け、社(やしろ)ができるわけですが、土に示すと書くように、屋の代わり(依り代)を意味しているのだと思います。
このような見方で言うと、宮=御屋(ミヤ)となりますね。
モチロン本殿には、御神体が安置されたりヒモロギとなるものが置かれているのですが、社殿自体が単なる入れ物や囲いではなく、一種のヒモロギだと思っています。
(神の字と同じで、元はコロモではなくシメスですよね?)
ですから、普段使い分けはしませんが、古代の神祀りではヒモロギを立てた屋代で行っていたが、社殿を建ててからの神まつりは社の中で行うものだと勝手に認識しています。
(おそらく私メだけでしょう 爆)
ですから、私メの考えから言うと、現在でも忌み竹に幤(紙垂)をつけた縄で結界を張り(または玉垣)、ヒモロギがあれば社殿などなくてもこと足りるとも言えるのです。
今でも本殿がなく、拝殿を設けるだけで御神体(山や岩座、瀧など)を遥拝する神社が古い形式のマツリとして残っていますが、これは動かせない神宿る自然の御神体を禁足などの保護をして聖なる場とし、常設の施設でマツリを行うもので、ヒモロギに降ろす形式のマツリは決った場所でなくても行えるもので、臨時的(或いは補助的)な神事として格下に(言葉は適切じゃないかも)思われてしまいそうですが、これが本来の在り方だと私メは思っています。
簡単に言えば、場を設けて崇め奉るのも良いのですが、「ココに来てくださいよ〜!」なんてのもアリで良いでしょ〜って感じですよ 笑
(モチロン畏怖の心も大事ですが、人間は神の子でありワケミタマと言われてるでしょ)
※これらについては語りつくせないものがありそうですが・・
社殿とは・・・
神をお迎えして、おもてなしをする場でもありますよね?
(もっとも、宮は神のためというより、神の常駐を願い、人の心の拠り処として建設されたと考えた方がシックリしますね)
しかし、立派な御社殿のあるなしで御祭神の神威が上がるかどうかは神様本人に聞いてみないとなんとも言えませんが、立派な家があれば多くの人にも寄ってもらいたいのではないでしょうか? 笑
その意味でも、立派な拝殿そして本殿があるのですから、そこに行くべきだし、行きたいじゃないですか!
まぁ倒木や大きな枝が落ちてきたらどうする?ってご意見もわかりますし、どうにもならない事情ってのもわかりますので、アレコレ書いてきましたが私メが神社に対する「こうあってほしい」思いということで・・・
(本職の方にはかなり失礼なことも、知った風なことも書いてますがね。つーか本職ってナニ?って話ですか? 笑)
この科学万能の時代に命をかけて山を駆けるなんて経験をすると、神社で怪我をするのも命を落とすのもそれはそれでアリかも〜なんて思うのは変わり者としか言いようがないですからね 笑
(ちょっとカッコつけすぎてしまいました 汗)
ま、いつもそんな覚悟で山に分け入るという意味ですよ。
実際、ココで命を落としても惜しくないという場面にも遭いましたが、ホント言うと山よりも海や川で命拾いした回数の方が多いですよ。(それも不思議な出来事で・・・ね!おねぇ・・・謎笑)
最後にひとつ
神社では、『よくぞ参られた。 まぁ ゆるりとしていきなされ〜』なんてことで、人が神様におもてなしを受けるなんてこともありますし、
『これを持っていかれよ』なんちゃってお土産を戴いちゃうことだってあるんですよ 謎笑
信じる信じないはアナタ次第ですがね。
都市伝説かよ!
また、近所で何年もの間、空き家となっている物件でもソレは密かに起こっていたりもします。
密集した住宅地でしたらそれほど早くは動き出しませんが、それは近隣の人の氣の作用でもあります。
朽ちるのは、人の氣がなくなったため、そしてその結果ヨカラヌモノが寄り付きやすくなるための様です。
その後には探検にきた人の仕業なんてこともありますが、人の氣は知らず知らずにそれだけの作用をしています。
主のいなくなった家は不思議にモノが散乱して障子や襖が破け、ガラスまでもが割れ、そればかりか畳までもが動いていたりもします。
外から見ても気がつきにくいのですが、ソレは内部から起こっているのです。。。それも自然とね。
なぜこんなことを言い切ってしまうのかを申せば、私メ実際にいくつかの物件を見て確認しています。(トキには大家が立会いです)
外部から人や動物が入り込める隙間が出来てしまっては荒らされることもありますが、それ以前の全ての窓や入り口が施錠された状態の空き家です。
そして、そこではナルホドな体験もしています。
いえ、肝試しなんかしませんよ
(大人になってからはね! しかしその筋では有名だった今は無きナンタラ外科病院はコワすぎ。。 爆)
マッサラな土地に新築する場合には、シッカリ地鎮祭等をする人が大半ですが、中古物件を買うときや、賃貸で入るときには意外と気にしませんよね?
買い物や駅、または学校に近いとか、利便性を重視したり、近所に変な人はいないか等、現実的な条件のみで選ぶことがほとんどではないですか?
しかし、引っ越す前に家祈祷をすると・・・ なんてことも実際にあるんですよ 笑
あくまでもこれらはナンタラな能力など自覚もない私メの経験から言うのであって、正しいとはいえませんよ。(たぶん)
最近はこれらの体験をする機会がありませんので探れませんし、能力がある方が違う見方をしているかもしれません。
だからと言って、このような現象を研究する気もありませんので、どうでもいいことなんですがね。。
だけど、考えようによっては、今その家の中に見えない同居人がいないともかぎりませんよね?
気になる方は、「いてもいいけど、静かにしてね!」 くらいの気持ちでいれば良いでしょう。。
な〜んてね。。。
それと関連することですが、よく「私は氣がでていますか?」とか「オーラはありますか?」
などの質問をしているのを見聞きしますが、どちらも出ていないのは死人だけですよ。
そして、ツーと言えばカーのように氣が合うなんてこともあり、氣がでていないなんて心配してるアナタの氣だって他人にも物にもシッカリ影響しているんですよ。
しかし、ナニモノかがいるような【気配】というのはどうでしょう? 氣を配ると書いてケハイです。
これも氣が出てるってことなんでしょうか?
凡夫の私メにはよくワカリマセンが同様の氣ではなく、おそらくは、磁気や電磁波みたいなモノかもしれませんが、そんなこと私メにはどうでもいいです。。爆
話を戻しましょう
朽ちるのは神社にも言えることだと書きましたけど、参拝の人の氣は遥拝でも届きますが、いわゆる活気というものがなければ弱いでしょう。
慶事の報告や、感謝の気持ちは氣としても強く真っ直ぐに届くのでしょうけど、参拝はそればかりではありません。
神様に面会するのに距離が云々なんて話しはナンセンスと思う方もいるでしょう。
(スピラーさんには多いかもしれませんが、ではアナタは何をしに神社に行きますか?)
しかし、それとは別のオハナシですよ。
わかりますか?
神云々を語るより、社殿であり境内の問題であって、神が後にくるオハナシなんです。
(難しいですねぇ)
また、神社は参拝するだけではなく、遊びや憩いの場でもあります。
入っちゃダメと言われれば、当然入りたくなるのが子供なんですが、それだからこそ枝が落ちるキケンだけではない別の意味でのキケンがないように、【場を生かしましょう】というオハナシなんです。
こう言えばわかりますか?
ウソかマコトか本当のところはシリマセンが、私メが子供の頃には近所でも「アソコの子が神隠しに遭ったんだとよー」なんて話もわりとよく語られていましたし、カマイタチなんてモノの存在もキツネの嫁入りなんてことも身近に起こった実話なんですよ 笑
社殿周辺が立ち入れなくとも、しかるべく本殿のマツリが行われていれば朽ちることはないかもしれません。
しかし、それも疎かにされて、一般の祓いや祈願・御祈祷まで遥拝で行うようであれば、それは少し考えものかもしれません。
(もっとも神職さんの心の在り方にもよりますが、今のマツリの状況では遥拝所でシッカリしたことは出来ないでしょう)
もともと神社の起こりは、今に残る地鎮祭のようなもので、依り代となる神籬(ヒモロギ)に神を降ろして奉る形式です。
それがのちに聖なる地に常設の祭壇を設け、社(やしろ)ができるわけですが、土に示すと書くように、屋の代わり(依り代)を意味しているのだと思います。
このような見方で言うと、宮=御屋(ミヤ)となりますね。
モチロン本殿には、御神体が安置されたりヒモロギとなるものが置かれているのですが、社殿自体が単なる入れ物や囲いではなく、一種のヒモロギだと思っています。
(神の字と同じで、元はコロモではなくシメスですよね?)
ですから、普段使い分けはしませんが、古代の神祀りではヒモロギを立てた屋代で行っていたが、社殿を建ててからの神まつりは社の中で行うものだと勝手に認識しています。
(おそらく私メだけでしょう 爆)
ですから、私メの考えから言うと、現在でも忌み竹に幤(紙垂)をつけた縄で結界を張り(または玉垣)、ヒモロギがあれば社殿などなくてもこと足りるとも言えるのです。
今でも本殿がなく、拝殿を設けるだけで御神体(山や岩座、瀧など)を遥拝する神社が古い形式のマツリとして残っていますが、これは動かせない神宿る自然の御神体を禁足などの保護をして聖なる場とし、常設の施設でマツリを行うもので、ヒモロギに降ろす形式のマツリは決った場所でなくても行えるもので、臨時的(或いは補助的)な神事として格下に(言葉は適切じゃないかも)思われてしまいそうですが、これが本来の在り方だと私メは思っています。
簡単に言えば、場を設けて崇め奉るのも良いのですが、「ココに来てくださいよ〜!」なんてのもアリで良いでしょ〜って感じですよ 笑
(モチロン畏怖の心も大事ですが、人間は神の子でありワケミタマと言われてるでしょ)
※これらについては語りつくせないものがありそうですが・・
社殿とは・・・
神をお迎えして、おもてなしをする場でもありますよね?
(もっとも、宮は神のためというより、神の常駐を願い、人の心の拠り処として建設されたと考えた方がシックリしますね)
しかし、立派な御社殿のあるなしで御祭神の神威が上がるかどうかは神様本人に聞いてみないとなんとも言えませんが、立派な家があれば多くの人にも寄ってもらいたいのではないでしょうか? 笑
その意味でも、立派な拝殿そして本殿があるのですから、そこに行くべきだし、行きたいじゃないですか!
まぁ倒木や大きな枝が落ちてきたらどうする?ってご意見もわかりますし、どうにもならない事情ってのもわかりますので、アレコレ書いてきましたが私メが神社に対する「こうあってほしい」思いということで・・・
(本職の方にはかなり失礼なことも、知った風なことも書いてますがね。つーか本職ってナニ?って話ですか? 笑)
(ちょっとカッコつけすぎてしまいました 汗)
ま、いつもそんな覚悟で山に分け入るという意味ですよ。
実際、ココで命を落としても惜しくないという場面にも遭いましたが、ホント言うと山よりも海や川で命拾いした回数の方が多いですよ。(それも不思議な出来事で・・・ね!おねぇ・・・謎笑)
最後にひとつ
神社では、『よくぞ参られた。 まぁ ゆるりとしていきなされ〜』なんてことで、人が神様におもてなしを受けるなんてこともありますし、
『これを持っていかれよ』なんちゃってお土産を戴いちゃうことだってあるんですよ 謎笑
信じる信じないはアナタ次第ですがね。
都市伝説かよ!
